こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2009年08月01日

毅然5 〜人の心がスッキリするとき

人って、面白いんですよ。
例えば、何か自分にとって辛いできごととか、面白くないできごとがあったとしますでしょ。
そしてそれをどう解決すればいいか、ムシャクシャした自分の心をどうもとにもどせばいいかがわからなくなったとしますでしょ。
そして必死に解決の道や打開策を探して悩むわけです。

そういう場合、どんなことが起こると心がスッキリすると思います?

解決策や打開策が見つかったとき?

そう、それも確かにあるんですけどね。
でもそれ以上に、
「今、自分にはどんなテーマが投げかけられているんだろう?」
「今、自分が向き合うべき課題は何なのだろう?」
ということが、ピンポイントで見えたとき。
そのときその瞬間、すご〜く心がスッキリするんですねぇ。

逆に、心がスッキリしていない場合は、まだ本当のテーマが見つかっていない、ということも言えると思います。

面白いですねぇ。
解決策も打開策も、まだ全然見つかっていないのにね。

コーチングやっていていつも感じる人間の面白さです。
そう考えると、私達人間って、本質的には成長・進化し続けたい生き物なんでしょうね。
そうか。
生き物なんだから、進化をし続けたいと思うのは、当たり前か。

そして、自分の進化につながるテーマに真正面から向き合ったとき、
人は、間違いなく毅然としてますね。
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2009年07月26日

毅然4

今日、私は名古屋でお仕事でした。
今日の名古屋はとても不安定な天気で、ちょうど私が外にいる時に、突然もの凄い雨が降って来ました。
その中をズブ濡れになりながら歩いたのですが、歩いているうちに、妙に気分が楽しくなり、そして心がしだいに静謐になっていくのがわかりました。
なんだろう、これは?
この気分、どこかで味わったことがあるぞ?
と思っていたら、思い出しました。
昔の登山でした。

20代の中盤くらいまで、私は登山に明け暮れていました。
特に学生の頃は、岩登りとかはしないのですが、かなり激しい縦走登山をしていました。
山の中に2週間も3週間も入るのですが、そんな時には必ず一度は、今日のような激しい雨に見舞われました。
雨だけならまだよいのですが、雷雨になったり、台風が来たりすると、それこそ生死に関わる状態になります。
一応カッパを着るのですが、そんなものは何の役にも立ちません。
全身、川の中に放り込まれたようになります。
しかも、ザック重量は50kgほどもありましたので、それが雨を吸い込んで、いったい何kgになっているのか考えたくもないくらいの重さになっていました。

でも実は、そういう激しい状況の中で一歩一歩歩いていると、不思議なことに心がどんどん静まっていくのです。
そして一歩を踏み出すその瞬間瞬間に妙な幸せを感じるのです。
それは何なのでしょうか。
一歩を踏み出すことのみに集中しているからでしょうか。生きている実感のようなものを感じるのですね、きっと。
で、ずっとこの状況が続けばいいのに、とさえ思います。
これって、マゾ?
そしてそういう中でこそ、通常では考えられない気づきとか、発想が生まれたりします。

今日は、そんなに長い時間ではなかったのですが、ズブ濡れになりながら歩いていますと、やはり通常では生まれない発想が生まれました。
そして、心がとても元気になりました。

昨日のブログでも書きましたが、今の景気低迷の中で、だんだんと復活の狼煙を上げ始めている企業も出てきてはいますが、私の実感としては、まだまだ多くの企業が苦しんでいます。
これから本格的な苦しさに突入しそうな企業もあります。
今日のような豪雨の中を歩いて経営をしているようなものです。
それはそれは大変な現実ですが、でもだからこそ、今の一歩に集中することができるのかもしれません。

今この瞬間の最善の一歩を。
今この瞬間の最善の一歩を。
人としてできる最善の一歩を。
必死に必死に踏み出し続けることができるのかもしれません。

豪雨の中でこそ毅然と一歩を踏み出す。
そのサポートが、私の使命でもありますね。
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2009年07月19日

毅然3

今、心の中心に「信」があるのか「不信」があるのか?
それにより、物事の進み方は全く変化します。

周りに対する「不信」の根本原因は、自分自身に対する「不信」です。
「不信」である自分が選択し、創り上げている「現実」(=周り)ですから、
それは信じられるはずがありません。
そして、周りを信じられないことにより、そう言った現実を創っている自分自身に対して
さらに「不信」の念を抱きます。
それが悪循環になります。

誰もが、「信」と「不信」を両方持っています。
そして誰もが、中心に「不信」を置いているとき、その人から「毅然」は消え去ります。

「信」とは、ある特定のものを信じている状態ではなく、
「すべてを信じている」状態です。
えっ? なに? そんな心の状態が現実に起こり得るの? と言われそうですが、
誰もが、そう言った状態を知らず知らず創り出しながら生きています。
それは特別なことではありません。
そして「すべてを信じる」ことができるとき、私達は誰もが「毅然」としています。
posted by はーん at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 毅然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月01日

毅然2

私達の目の前に「現実」がある限り、
そして、私達の行く先に「未来」がある限り、
「不安」は私達の心の中から消えることはありません。

でも私達は、心の中から「不安」を消そうとします。
「不安」のない人生を得ようとします。
でも残念ながら、「不安」はなくなりません。
なくそうと思えば思うほど、それは大きく心を占めることになります。

「不安」をなくすことを、諦めること。
「不安」が存在することを、認めること。
それが「毅然」へのスタートです。

心の中に「不安」がいっぱいいっぱい観える。
観えれば観えるほど、私達は「不安」から解放されます。
私達は「毅然」となれるのです。
posted by はーん at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 毅然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

毅然1

最近、「毅然」というテーマが心の中にずっと存在しています。
ですので、このテーマで何回か、不定期に思いつくことを綴ってみたいと思います。

以前のブログでも少し触れたことがありましたが、
心が麻痺していることにより、私達の心は非常に不安定になります。
麻痺、・・・つまり自分の心が苦しんでいたり痛んでいることに自分が気づかない状態です。
苦しいこと、痛いことは当然誰もが避けたいと思っていますから、目を背けよう、背けようとします。
で、心に蓋をするわけですが、それにより苦しみや痛みのもとがなくなるわけではありません。
体で言えば、人間の体はなぜ苦しんだり痛んだりするのか。
それは、それにより自分が危険状態にあることを知らせるため、という理由が一つありますよね。
心もそれと同じ。
自分が苦しんでいること、痛めていることに気づくことが大切。
蓋をして麻痺をしている状態は、最も避けるべき状態であると言えます。

そして、これは明確に言えるのですが、
心に蓋をして麻痺をしている人は、絶対に「毅然」と生きることができません。
絶対です。
本人は毅然としているつもりかもしれません。
でも、見る人が見れば、それは表面上だけの毅然であることは一目瞭然です。

強い人とは、自分の心をありのままに観ることのできる人です。
自分と向き合う勇気を持つ人こそが、現実と向き合う勇気を持てるのです。
posted by はーん at 00:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 毅然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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