こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2009年09月10日

悔しい?

悔しい?
悔しいのはいやですね。
そして、悔しさをバネにする?
・・・そうですね。とても大切なことですね。

でも、どうせバネにするならば、真本音の力としましょう。
悔しさ、とは反応本音の一つです。
反応本音のパワーをそのまま反応本音の反動として使っても、実はたかが知れています。
そのパワーを、真本音と統合するのです。

そのためのコツは簡単です。
悔しさを振り払おうとしながら動けば、それは反応本音のままです。
悔しさを、全身で感じ切るのです。
悔しさで心と体を満たし、じっくりとしっかりと感じ切るのです。
体が震えるでしょう。
目が眩むでしょう。
それらすべての現象を、ありのままに観て、感じ切るのです。
すると、悔しさという、ある種の苦しさが浄化され、すべてが真本音の力として統合されるのです。

悔しさとは、次への大いなるステップです。
自分への課題と呼びかけを受け止め、さらなる飛躍へとつながるステップです。
その絶好の機会を活かしましょう。

・・・な〜んて、今日は自分自身に言い聞かせながら書いちゃいました。
posted by はーん at 22:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 「?」シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月30日

落ち込み?

落ち込みたくない。
・・・誰もがそう思います。
でも、落ち込んでもいいじゃない。どうせなら、とことん落ち込んでしまえ。
・・・そんな生き方ができると、とても楽です。
そして、そういう方は、結果として落ち込みにくい人生を創ります。

落ち込むことを恐れ、落ち込みから逃れようとしていると、いつまでたっても苦しみは抜けません。
落ち込みに従う、・・・というとちょっと変な表現ですが、自然に落ちるとこまで落ちてみる、という開き直りのような気持ちになれば、私達の心は逆に楽になります。

落ち込みには、必ず限界があります。
井戸には底があるのと同じです。
落ち込みには、必ず底が存在します。
底まで行けば、あとは上昇するだけです。
ところが、底に行くのが怖いために、私達は落ちることに抵抗します。
そこで、苦しさが倍増するのです。
底にたどり着く前に、エネルギーを使い果たし、本当に息絶えてしまうのです。

実は、落ち込みとは決して悪いことではありません。
きちんと落ち込めば、必ずそこには、次に向かう「気づき」を得られます。
それは、人間としての私達自身の成長につながりますし、大きな力となります。

落ち込むという気持ち自体は反応本音ですが、落ち込むという選択を、あえて真本音が意図的に創り出すことも多いのですよ。
posted by はーん at 00:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 「?」シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

自信?

「自信」を持った自分になる。
「自信」を持って行動する。
・・・「自信」とは、とても大切なことです。
でも、自信なんてあってもなくてもいいじゃない。
・・・という視点も大切だと思います。

「自信」を得るための人生よりも、「自信」はあくまでも結果であり、求めるものではない、
・・・という大らかな人生は、結構楽です。
しかも、「自信」から開放されたときにこそ、「確信」は生まれます。
「確信」とは、真本音レベルでの自信が生み出すもの。

経験に基づく「自信」は、反応本音です。
でも私達の真本音は、すでに「自信」を持っています。
その真本音レベルの「自信」に基づいた発想と選択は、いつも私達の心の中に「確信」として現れるのです。

「自信の人生」から「確信の人生」へ。
それは、心が自由になる人生でもあるのです。
posted by はーん at 00:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 「?」シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月28日

正しい? 正しくない?

自分が「正しい」と思うことをする。
・・・それはとても大切なことです。
が、「正しい」とか「正しくない」とか、そんなのどっちでもいいじゃない。
・・・という視点も、とても大切だと思うのです。
なぜなら、「正しい」「正しくない」とは、私達個人の「解釈」に過ぎないからです。
そして、最善の道とは、その「解釈」を超えたところに「在る」ものだからです。

「正しい」「正しくない」は、反応本音の一つです。
真本音は、それを超えたところに存在し、真本音の判断もやはり、それを超えたところから発生するのです。
posted by はーん at 00:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 「?」シリーズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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