こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2009年11月08日

何もしない14

今朝になって初めて、昨日までの数日間の私の精神状態はとても不安定だったことがわかりました。
特に昨日、一昨日の研修中は。
ただ、それで研修の内容に影響が出たわけではありません。
むしろ、不安定だったからこそ、より最善の向き合い方ができたと思います。

その不安定さは要するに、ぶり返しだったのです。
ここしばらく、「何もしない」というテーマでしばらく自分のセルフコーチングを探求してきました。
その気付きは、ブログでも何度か書かせていただきました。
で、気がついたら、私のセルフコーチング力とか、私の精神の安定度はワンランク高まっていたのですね。
こういう時、過去にもよくあったのですが、必ずどこかの段階で「ぶり返し」が来るのです。
つまりそれは、
「ちょっと前まではあなたはこういう精神状態だったのだよ。
 でも、今はこうなれたのだよ。
 これだけ進歩したのだよ。」
ということを、自分自身が教えてくれるわけです。
自分自身の真本音が、あえてそうするのだと思います。
それにより、自分の成長を客観視でき、特に私にとっては、それはセルフコーチング法探求の大きな気づきになります。
そして、私以外の方々に、セルフコーチング法をお伝えするための指針となるのです。

そういうことが、ここ数日で起きていたのですね。
これまでも私は、ずいぶんと自分の心は安定してきたなぁ、と思っていたのですが、
「さらなる安定」を経験すると、それまで「安定」だと思って来たものが、実はそうでもなかったということが初めてわかるのですね。
そしてこれからも、こういうことが続きながら、一歩ずつ進歩するのでしょう。

まったく、人間の心とは、奥が深いものです。
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2009年10月17日

何もしない13 〜体験 究極の「何もしない」

今日も昨日に引き続いての管理職研修でした。

今朝起きたときは、「今日は調子いいな」と思ったんですけどね・・・。
明らかに今日の私は何かが変でした。

なんと、朝、歯を磨くのを忘れたんです。
朝ごはんだけ食べて、そのまま歯を磨かずに出かけてしまった。
そんなこと、子供の頃から考えても初めてのことじゃないでしょうか。
そして、研修会場に向かう特急電車の中では、一つ席を間違えました。
本当は、7Dの席に座るはずなのに、私が座っていたのは8Dでした。
そんなことも初めてです。
しかもしかも、今日は私はグレーのワイシャツを着ようと決めていたのに、よく見ると白のワイシャツを着ていたのです。
研修会場に着いてから気づきました。
これも初めてのことです。

立て続けに3つのことが起こり、そこで「今日の私は何かがおかしい」と認識できたのです。
でもしょうがないから、「何かがおかしい自分」をずっと観察し続けようと思いました。

研修が始まり、やはり私の「おかしさ」は続きました。
いつものような「直観」が働かないのです。
それどころか、言葉も満足に回らない状態でした。
「なんだ? どうしたんだ?」と、あせりました。
でもとにかく、ここのところいつもしているように「何もしない」ことにしました。
つまりそのままの自分で皆さんと向き合い続けました。

午後に入り、研修も佳境にさしかかったところで、突然、私は全く予定外のことをしゃべり始めました。
全くの予定外です。
「おいおい、こんなことをしゃべったら、この後、研修をどう持って行くんだよ」
と、もう一人の私が自分に突っ込みを入れます。
でも、私はおかまいなし。
そして、・・・
ある瞬間に頭が真っ白になってしまったんです。
本当に真っ白。
自分が何をしゃべっていたのか、何をしゃべればよいのか、全くわからなくなったのです。
突然、私は空白状態になり、動きが止まりました。
話が突然止まったので、しばらく沈黙が続きました。
私はもちろん心の中であせっていたのですが、この時に出たのです。
「何もしない」が。

私は止まっている私自身を観ながら「何もしないでおこう」と決めたのです。
すると、当然ですが、何もなくなりました。
沈黙だけです。存在していのは。

すると、ご参加の皆さんの後ろの席や端っこの席から、ザワザワと話が始まりました。
それは決して悪いザワザワではなく、なんかちょっと良い感じのザワザワでした。
何かが自然発生するような、さざ波のようなザワザワが徐々に広がりました。
そのザワザワを聞きながらも、私は「何もしない」状態のままでした。

で、ある瞬間からまた私はしゃべり始めました。
実は、この辺り、記憶が飛んでいます。

私はいつも自分の研修をボイスレコーダーに録音しています。(もちろん皆さんの了承のもとです。)
後でそれを聴き直して、その時そこで何が起きたのかを確認してみようと思います。
でも気がついた時には、研修はスムーズに続行していたのです。
研修後のスタッフからのフィードバックでも、私が止まったことについては何も話が出ませんでした。
恐らく、周りの目からは気がつかないほどの一瞬のできごとだったのかもしれません。
私からしてみれば、永遠の長さを感じたのですけどね。

で、スタッフとも解散し、一人になってから、また気がつきました。
やっぱり私の真本音はきちんと機能していた、ということを。
つまり、いつものごとく、ちゃんと真本音がすべてをコントロールしていたということです。
ですが、これまでの直観モードとは違う種類(角度?)からの直観モードが働いたということで、私自身の反応本音が随分と戸惑いを見せた、というところでしょうか。
別の言葉で表現すれば、これまで味わったことのない、究極の「何もしない」状態を体験できたのかもしれません。

研修後の皆さんのお顔はすがすがしく、私の心もすがすがしさで満たされていました。
きっと今日の研修のことを、客観的に分析できる日が来るのでしょう。
あぁ、そういうことだったのか、と明確・明瞭にわかる日が早く来るように、私は精進を続けましょう。
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2009年10月13日

何もしない12

「何もしない」シリーズも、12回目になりました。
このテーマ、気づきが絶えません。
実は、ブログに公開するのは今回で12回目ですが、もうすでに書きためている文章も他にまだまだあるのです。
それらを全部公開するかどうかは、わかりません。
が、真剣になれば、一冊の本ができるかもしれません。
かなりマニアックな本ですが。笑
でもこれを、一般の人にもわかりやすく表現することもできそうな気も・・・。

前回、「何もしない」ということは、心を自由にすることだ、と書きました。
心を自由にしていると、ある一つの現象に気づきました。
それは、
「反応本音は開放されたがっている」
・・・という事実です。
反応本音には、様々なものがありますが、すべての反応本音は「開放されたがっている」のです。
開放され、大きく解き放たれることを望み、そしてそれはだんだんと消えていく。
いや、正確には消えるのではなく、それらの一つ一つが真本音のエネルギーになるようです。
よく考えたらこれ、セルフコーチングの原理原則そのままなのです。

う〜む。
開放されたがっている反応本音を、私達は無意識に留め置こうとしてしまうのですね。
それにより反応本音の反発が起き、反応本音がさらに次の反応本音を生じさせ、心の中が反応本音という雲でいっぱいになる、ということのようです。

これまた、大きな発見です。
posted by はーん at 18:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 「何もしない」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

何もしない11

「何もしない」ということは、心を自由にする、ということのようです。
私達は、様々な反応本音を持っています。
反応本音自体は大切なものなのですが、いつの間にかそれに縛られ、自由度をなくした状態で物事の判断や選択をしています。
その「縛り」をなくすことが「何もしない」ということ。

縛りがなくなると、最も強い心が私達自身を動かします。
最も強い心、・・・つまりそれが真本音です。
心が本当に自由になれば、私達は自然に真本音で生きることができるということです。
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2009年10月06日

何もしない10

「何もしない」ことによって、本当の自分の意図がわかるようになりました。
「何もしない」ことによって、目の前の現実がより鮮明に観えるようになりました。
「何もしない」ことによって、心が楽になりました。
「何もしない」ことによって、無駄な力が抜けました。
「何もしない」ことによって、エネルギーの集約が見られました。
「何もしない」ことによって、幸せを感じやすくなりました。

私がこれまで、どれだけ余分な力を入れながら生きて来たのか。
それを痛感しました。
自分自身の真本音に気づき、生き方を変えてから、随分と力は抜けて来たはずなのですが、
この「何もしない」というテーマによって、さらに力を抜くことができました。
これも、真本音を大切に生きて来た一つの成果だとも言えるでしょう。
う〜む。なんだかとても感謝です。
そうそう・・・、
「何もしない」ことによって、余分な気持ちが抜けました。
そして最後には、感謝の気持ちが心の中心を占めていることに気づきましたよ。

posted by はーん at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 「何もしない」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月02日

何もしない9

ちょっとお恥ずかしい話なのですが・・・。
今日も「何もしない」というテーマを大切にしましたら、ある一つのことに気づきました。
それは、私の心の片隅に、とても小さいのですが、でもとても密度の濃い一つの信念を見つけました。それは・・・、
「苦しみの大きさが、よい仕事ができた証である」
そして、
「だから私は、苦しまねばならない」
という信念でした。
あぁ、恥ずかしい。
確かに、この手の信念があることはずっと以前からわかっていました。
であるが故に、自分自身でそれをコントロールしてきたつもりでした。
でも、まだまだ自分の知らないところで濃〜いのが存在していたのですね。

はい。これも明らかに「自己満足」です。
自分の信念で自分自身を苦しめて、自己満足しているわけですね。
まだこんなのが、自分の中にあったとは・・・。
あぁ、恥ずかしい。

でも、つくづく思うのですが、反応本音のパターン(つまりはそれは「性格」という言い方もできますが)とは、なかなか変わらないですね。
執着の強い反応本音は、残り続けますね。
それを何とかしようというのは、やはり諦めた方がよいのでしょう。
「反応本音のパターンをどう変えるか?」 
ではなく、
「いかに今この瞬間に真本音を尊重するか?」
こそが、望む人生を創る最善の一歩のなるのだな、ということを改めて確信したしだいであります。
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2009年10月01日

何もしない8

今日は、経営者Aさんのコーチングがありました。
Aさんは、いつもご自身の真本音を大切に経営をされている真本音実践者です。

そんなAさんに、コーチングの終わりがけに、最近の私の「何もしない」というテーマについてお話ししてみました。
すると、私の予想を遥かに超えて、共感をしていただけました。
「何もしない」という一言が、Aさんの心の中に新たな気づきの種を蒔いたようです。
どうも、「何もしない」というテーマは、私が思っている以上に深い影響を与えるようです。
普段から真本音を大切にしている人にとっては。
もうちょっとこのテーマ、掘り下げるのと同時に、周りにも広く発信してみようかな。

で、Aさんは言われました。
「人は真本音を大切にするようになれば、それまでの10倍の力が出るのではないか。」
それは、Aさんご自身の実感のようです。
そうですね。
私がこれまで見て来た印象では、「何倍」とは表現できないくらいに、何かが根本から変わります。でもエネルギー量で言うと、確かに10倍以上になるかもしれません。

とは言え、真本音とは何も特別なものではありませんし、誰もが持っているものですし、それを大切にすること自体は、とても簡単なことです。
その簡単なことを「簡単なんですよ」とお伝えするのが、私達SCCの重要な役割の一つなんでしょうね。
posted by はーん at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 「何もしない」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

何もしない7

目の前の現実に対して、期待を抱きながら行動することも、
もしくは、失望をして次の行動を決めることも、
私達には、よくあることです。

今日、「何もしない」ことにより、「期待」や「失望」から解き放たれることがわかりました。
「期待」や「失望」から自由になることにより、
「本当は今、どうすればよいのか?」
・・・が、手に取るように観えてきました。

「期待」も「失望」も反応本音の一つです。
「期待」は気持ち良く、「失望」はガックリ。
どちらも反応本音。
どちらも大事です。
でも、それのみに囚われると、次の一歩を見誤ります。
「見誤る」とは要するに、自分が本当に望んでいる一歩を自分が気づかない、という状態です。

「何もしない」ことにより雲が晴れ、道が観えてくるのですね。
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2009年09月28日

何もしない6

「何もしない」とは、心を意図的に動かさない、ということのようです。
つまり、心をあるがままの状態に維持すること。
真本音も反応本音も、あるがまま。そのまま。

すると、真本音も反応本音もすべてを大切にした、今この瞬間を生きることができるようです。
それは、最善の道を歩み続ける人生です。

今日も、そんな研修でした。
私自身が自分の動きの変化に気づき、とても面白かったです。
そして、自分のセルフコーチング力が著しく向上したこともわかりました。

恐るべし、「何もしない」こと。

ただこれは、誰もができることではなく、普段から自分の真本音を尊重して生きている人だけに与えられた特権のようなものであることもわかってきました。

なるほど。

だからこそ、まずは「ねがいのもと」から。
「ねがいのもと」を大切に生きることにより、真本音が尊重され活性化し、
真本音が活性化することにより、「何もしない」で生きることができるようになる。
ということのようです。
そしてそういった人生は、心の平安をもたらしてくれるようです。

ただ、まだまだ途上。
まだまだ「何もしない」ことの探究は続きます。
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2009年09月27日

何もしない5

今日も企業研修です。
「ねがいのもと」出しをしました。
最近の私のテーマ「何もしない」を、今日もやり切りました。
変な言い方ですが。

「何もしない」ことにより、いろいろなことを私はしました。
不思議な感覚ですね。
「何もしない」ことにより、よりアクティブになるのですから。

今日の皆さんは、部課長クラスの方々だったのですが、とってもすがすがしい皆さんでした。
ある種の「覚悟」を感じる皆さんでした。
心によどみのない感じ。
だからこそ、私の「何もしない」が余計に効果を発揮したのだと思います。
「ねがいのもと」が出される直前の、あの空気の「上がり方」は、それはもう・・・。

「何もしない」こと。
ずいぶんと自分のものになってきました。
でもまだまだ。
明日も頑張って「何もしない」ぞ! 笑
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2009年09月21日

何もしない4

いやぁ、ここのところ毎日「何もしない」というテーマばかりですみません。
今日もそのテーマです。

今日は連休のど真ん中ですが、企業研修がありました。
「何もしない」という指針を再重要としながら、研修やってみたんです。
はい。心がとても楽でした。
今日は若手の社員さん達の研修でしたので、難易度としては最高クラスだったのですが、いつものような戸惑いが少なかったですね。
上手く表現できませんが、ずっと「ここにいる」ことができた気がします。
ということは、これまでの私は「どっかに行ってた」ということ?

いずれにしても、「何もしない」の一言により、研修においては私の立ち位置が明らかに変化したようです。
それにより、逆に歪みらしきものも多少出ましたが、それはあくまでも表面上のこと。
この立ち位置で、しばらくは試してみようと思います。

・・・って、何の話をしているか、わかんないですよね。
もともと私のブログは、わけのわかんない文章が多いと思いますが、許してください。
今日のこの感覚を、ぜひ記録として残しておきたいものですから。

それはそれとして、やっぱり若い人達と向き合うのは、難しいですが、とっても面白い!
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2009年09月20日

何もしない3

「ねがいのもと」出しの個別セッションが続いています。
「何もしない」ということを最も大切な指針として、受講生さん達と向き合ってみました。
「何もしない」ことによって、すべてが自然に流れていくことを実感しました。
それは恐らく、「共に向き合い、共に創る」という行為が、これまで以上に深くできている状態だと思います。
「何もしない」ということは、自分の意図を完全に手放すことなのでしょうか。

ここで言う意図とは、反応本音レベルのことを言います。
つまりは恐らくそれも我(が)です。
我(が)を超えた、本当の意味での意図が、そこに働くようになる。
そのためのきっかけが「何もしない」ということなのでしょうか。

今日はそんなことを感じました。
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2009年09月19日

何もしない2

昨日、「何もしない」というメッセージが、私の真本音から私自身に届きました。
それを私の最重要テーマとすることにしました。
そうしたらさっそく今日、一つの気づきがありました。

私はコーチとして、皆さんのサポートをいつもさせていただいているのですが、私の中に次のような心が大きく存在することに気づきました。
「なんとか、この人によくなってもらいたい!」
この「よくなってもらいたい」というのはつまり、「真本音で生きる状態になったもらいたい」ということなのですが、どうもこの気持ちが強過ぎるようなのです。
強過ぎて、我(が)になっているところがあるのです。
そして、私自身が納得いくだけの成果を上げられないときに、私は私自身を責めるようになるのです。
「もっと良いサポートができたはずだ! あんなもんじゃないはずだ!」
「なんでもっとサポートできなかった! なんで私はこんなにも力がないのだ!」
というように、自分を責め続けるのです。
つまりは、罪悪感というヤツです。
精一杯、真本音で皆さんと向き合い、その時その瞬間の最善の一歩一歩を共に創り出しているはずなのですが、終わってから一人になると、自分を責め始めるのです。
そうやって、どうも私は生きて来たようです。

で、その罪悪感が心の中の不純物となり、それが私の心の中に不一致感を生み出します。
私は人と向き合う度に、心の中にいつも苦しみを抱いていました。
それをセルフコーチング法により、毎日解消していたのですが、その苦しみのもとが自分自身の罪悪感であることに気づいたのです。

罪悪感とは、「自己満足」です。
自分で自分を傷つけるという行為は、自己満足に他なりません。
それにより、誰一人として幸せになれる人はいません。
そんな行為を、私はやり続けていたんですね。
人のサポートをしたい、という祈りにも似た私自身の想いですが、それが行き過ぎると、こういうことにもなるのですね。

ただ、「何もしない」というテーマ。まだまだこんなものではありません。
もっともっと私自身の何か大切なものを気づかせていただけるようなテーマだと思います。
これ、ずっと大切にし続けます。
posted by はーん at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 「何もしない」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月18日

何もしない

今日からいよいよ、「ねがいのもと講座」の個別セッションが始まりました。
受講生さんお一人お一人と面談コーチングをし、「ねがいのもと」を見つけ出すのです。

ある受講生さんの個別セッションが無事終わった直後でした。
突如、私の真本音から私自身にメッセージが届きました。
それはたった一言。

「何もしない」

・・・というメッセージでした。
「!!!」
意味はよくわかりません。
でも、私はある意味、驚愕しました。
今の私にとって、驚くべきテーマであり、指針です。
意味はよくわかりませんが、何かが凄く肚に落ちたような・・・。

これ、明日からの、・・・いや、今からのテーマにします。
何もしないと、いったい何が起こるんだろうか?
posted by はーん at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 「何もしない」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする