こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年02月24日

源と真本音12(最終回)

「私」という存在は、源(ソース)が望んで生み出したものです。
「私」がここにいる限り、そこには源(ソース)の“願い”が存在します。
すべての「私」達は、源(ソース)の“願い”のもとに在るのです。

そして「私」達一人ひとりには、個性があります。
一人ひとりが、あえて別個の存在です。
そこにこそ、人としての意義と意味があります。

源(ソース)が、現実世界に向かうために創り出したのが、真本音。
そして、真本音が現実世界との実際の関わりの中で創り出したのが、反応本音です。

さらに、一人ひとりには、異なった「現実」が存在します。
生まれた場所・時代(時間)・環境は、一人ひとり違いますし、降りかかって来るできごとも違います。
人生とは、その人独自のもの。
その人の向かう「現実」とは、その人独自のものです。

よって、一人ひとりの持つ別々の「現実」に向かうために、その人特有の真本音が生まれます。
そしてその真本音は、さらに「現実」と関わりながら、特有の反応本音を生みます。
もとは同じ源(ソース)。
しかし、別個の存在として生まれた瞬間から、別個の「現実」の中で、「私」達はそれぞれの個性を持ち始めます。

本来の個性とは、源(ソース)に基づいた、その人の真本音と反応本音のコラボレーションによって創り上げられたものです。
ところが人は、肝心要の源(ソース)の存在と、真本音の存在を忘れてしまいます。
その時々に現れる反応本音のみが「自分の心である」と思い込み、その思い込みによって、いつの間にか架空の個性を自ら創ってしまいます。
それが、心の中に歪み(ストレス)を生じさせます。

私達の「もと」は一つです。源(ソース)です。
でも、私達には一人ひとり、その人らしい個性があります。
架空の個性ではなく、その人の本来の個性を活かすことこそが、その人の本来の人生を創っていきます。
ですから、私達は真本音を思い出すことが必須なのです。
自らの中に存在する、源(ソース)と直結している自らの心。
外部環境からのいかなる影響によっても揺らぐことのない、自らの心。
本来の心。
それを思い出す必要があるのです。
真本音を思い出すことにより、源(ソース)とのつながりも(理屈ではなく実感として)思い出すことができ、それにより、「現実」の観え方が根本的に変わります。
例えば、それまで「ただの苦しみ」としか捉えていなかった現実が、「自分だけに与えられた道」に観えてきます。
すべてが「自身の“願い”に向かう道」に観えてきます。

・・・・・
ブログ「連載シリーズ1 私の使命について」(左欄のカテゴリ参照)では、「心のパワーを高める」という視点から、真本音度合いを高める有用性を書かせていただきました。
今回の「連載シリーズ2 源と真本音」では、「真本音の本質とは?」という視点から、やはり真本音度合いを高める有用性を書かせていただきました。
いかがでしたでしょうか?
それぞれ少し視点は違えども、申し上げていることは、全く同じです。

「源と真本音」というテーマで書かせていただくのは、今回を最後とします。
しかし、このテーマの第1回目に私は「意識の次元」という概念をご紹介しました。
そして、「意識の次元」と「パワーレベル」の違いについて、次のような結論を書かせていただきました。

>「パワーレベル」とは、「真本音との結びつきの度合い」を表す尺度です。
>そして「意識の次元」とは、「源(ソース)との結びつきの度合い」を表す尺度です。

もともと、この意味のご説明をするために、真本音について語り始めたのが、この文章のスタートでした。
ここまでお読みいただきましたら、この結論の意味は、すでにある程度おわかりいただけると思います。
しかし、この結論を書かせていただいたのは1月22日です。
それから約1ヶ月。
この間に、「意識の次元」について、実に様々な発見がありました。
この結論をさらにきちんとご説明するために、今後は「意識の次元」についての私の発見をご紹介することとします。

とりあえず、完

2011年02月18日

源と真本音11

「進化」とは、「一度“分離”した後に、再び“一つ”に戻る」ことによって成されます。
(前回と同じ始まり方で、すみません。笑)
そして源(ソース)は、「進化」を望んでいます。
真本音とは、源(ソース)と直結している私達の心です。
ということは、私達の真本音も「進化」を望んでいます。
「“一つ”になること」を望んでいます。
そしてそのために「自分を動かそう」とします。

AさんがBさんに怒りの一言を投げたとします。
もしそれがAさんの真本音に基づくものであるならば、それは必ず「進化」に向かう行動です。
「“一つ”になること」に向かう行動です。
Bさんはそこで怒りの一言を受けることで、「進化」(=「“一つ”になること」)に自分が向かうことを、真本音レベルで知っています。
ですから、Bさんの真本音は、あえてAさんの一言を受けたのです。
つまり、そこで行なわれたことは、AさんとBさんの真本音同士のコラボレーション(協業)です。
目的を一つにした選択を、二人はしたことになります。
それは、源(ソース)の目的に他なりません。

さて、ではいよいよ真本音の本質について書かせていただきます。
真本音の本質とは、

「源(ソース)と、現実世界(3次元世界)を結ぶもの」

・・・です。
これは、どのような意味だと思われますか?


源(ソース)とは、絶対的な存在です。
しかしながら実は、源(ソース)とは、源(ソース)の意思のままに現実世界(3次元世界)を自由に動かすことはできないのです。
この現実世界(3次元世界)とは、不自由な世界です。
多くの人々の心と心が混じり合い(・・・反応本音と反応本音が混じり合い)、実に複雑怪奇に絡み合い、できあがっている世界です。
いや、人間の心だけではありません。
人間以外のあらゆる物事も、複雑に影響し合っています。
それはあたかも、もともと一本だった糸が何本も集まるうちに絡み合い、ほどけなくなってしまった状態に似ています。
その状態の中で、源(ソース)が「こうしたい」という一つの望みを持ったとしても、それがすぐに実現するわけではなくなっているのです。
あえてそういう世界を、源(ソース)は創ったのです。「進化」のために。
源(ソース)の「こうしたい」を実現するためには、源(ソース)の意思を尊重しながらも、現実世界(3次元世界)をしっかりと観ながら、「まずはどうすればよいか。次にどうすればよいか。・・・」と、一つ一つ望む方向に調整しながら道筋をつけて行く役割が、どうしても必要なのです。
それが、真本音です。

つまり真本音とは、
「源(ソース)の意思を、現実世界(3次元世界)で実現するために、
 現実世界(3次元世界)としっかり向き合いながら、
 一歩一歩道を切り拓いて行くための、先導役である」
・・・と表現することもできます。
「源(ソース)と現実世界(3次元世界)のコーディネイター」
・・・とも言えるかもしれません。

良い比喩かどうかわかりませんが、企業で言えば次のようになります。
源(ソース)とは、商品開発や製造をする部門です。
「今の社会にはこれが必要だ」と、純粋に思えるものを創ります。
真本音とは、それを社会に発信したり広報したり売り出すための部門です。
「どのような手段を使い、どのような道筋で行動すれば、それは社会に広がっていくのか」を、現実と向き合いながら見出し、最善の一歩一歩を創っていきます。
源(ソース)とは、「理想」を示す役です。
真本音とは、「最善」を見出す役です。
それが、真本音の役割であり、本質です。

AさんがBさんに、真本音で怒りの一言を投げたとします。
反応本音レベルでは、「なんでそんなひどいことを言うのだろう」と思うかもしれません。
しかしそれは、「今は、怒りの一言を投げることが、最善である」という、Aさんの真本音の判断なのです。
そしてその判断は、Bさんの真本音の判断と完全に調和します。
なぜなら、もともと私達は“一つ”だからです。
源(ソース)でつながっているからです。

人によっては、このような説明を受けますと、「なんだか、源(ソース)というわけのわからないものに操られているようでいやだな」と思われるかもしれません。
しかし、源(ソース)とは、私達自身です。
私達と別個の存在ではありません。
「本来の私」と表現してもよいでしょう。
「本来の私」の望むことを、「現実世界で実現していく私」、
・・・それこそが真本音なのですね。

つづく

2011年02月13日

源と真本音10

進化とは、「一度“分離”した後に、再び“一つ”に戻る」ことによって成されます。
・・・ということを前回、書かせていただきました。
それがこの世界の源(ソース)の望んでいることであり、悲願です。
そして、私達人間は“分離”した存在です。
あえて“分離”した存在です。
そんな私達が「“一つ”になる」方向に向かえば、人も、組織も、必ず活性化します。
当然です。
私達の源が望む方向に動くことは、私達全体が喜ぶことでもあり、私達全体が喜ぶことをすれば、物事が上手くはかどるのは自然の摂理です。
そうです。
自然の摂理に従ったことをするだけで、物事はスムーズに流れます。
私共の企業サポートは、すべてこの摂理に則っています。
皆さんが元気になるのは、当たり前ですね。

真本音とは、源(ソース)に直結された私達の心です。
源(ソース)に直結されていますから、大地に根を張ったように揺るぎません。
そして、源(ソース)に直結されていますから、源(ソース)の願い(=私達自身の本当の願い)を、よくわかっています。
源(ソース)が、「今ここで、何を望むか?」「今ここで、何を選択するか?」と、
Aさんの真本音が、「今ここで、何を望むか?」「今ここで、何を選択するか?」と、
Bさんの真本音が、「今ここで、何を望むか?」「今ここで、何を選択するか?」は、
完全に調和します。
それはそうです。
源(ソース)=Aさん=Bさん、そして、=私、であり、=あなた、ですから。

ただ、反応本音レベル(3次元世界の現実レベル)では、私達は“分離”しています。
であるが故に、“分離”された存在としての、それぞれの役割が発生します。
同じ願いに基づいて、それぞれの人が、それぞれの役割に基づいて動きます。
ですから、前回の例にもどりますと、
AさんがBさんに真本音で怒ったとします。
Aさんは、Bさんと同じ願い(源の願い)に基づき、Bさんにキツい一言を言い、
Bさんは、Aさんと同じ願い(源の願い)に基づき、Aさんからキツい一言を言われたわけです。
これが真本音で生きる、ということです。
自らの真本音で生きる、とは、イコール、自分以外のすべての人の真本音を尊重して生きることに他なりません。
それはつまり、「すべてを愛する」状態です。

さて、いよいよ真本音の本質、・・・その結論を語る段階に来ました。
真本音の本質、それは・・・・・
                   つづく、です。笑

2011年02月10日

源と真本音9

自分の一挙手一投足を真本音に基づいたものとすれば、それは、周り人の真本音の望む一挙手一投足と完全に一致します。

例えば、AさんがBさんに真本音で怒ったとします。
キツい一言を浴びせたとします。
その一言は、実はBさんの真本音が「自分に浴びせてほしい」と願っていたもの、
・・・ということになるのです。
当然ですが、反応本音レベルでは、その一言をもらったBさんは怒ります。
しかし真本音レベルでは、Bさんは満足します。
だからが故に、その場は険悪となったとしても、二人の心の絆はより深まります。

なぜでしょう?
答えは簡単です。
真本音は、源(ソース)とつながっているからです。

なぜ、真本音とは揺るがないのか?
なぜ、いつも安定しているのか?
それは安定し、揺るがないものとつながっているからです。
それが源(ソース)です。

源(ソース)については、このブログの左欄のカテゴリ「私の使命について」でも書かせていただきました。
同じような内容になるかもしれませんが、ここでは少し詳しく書いてみます。

3次元的な表現を使えば、源(ソース)とは、宇宙よりももっと断然大きなものです。
宇宙とは、源(ソース)から生まれました。
また3次元的表現を使えば、源(ソース)とは、「すべてがある状態」です。
すべてが存在し、すべてが満たされている状態です。
またまた3次元的表現を使えば、それは「無色透明」です。
7色の光がすべて合わさると、無色透明になるのと同じです。
それは、「無」とは違います。
「無」とは、何もない状態です。
源(ソース)は、すべてがある状態で、「無」すらもその中に含まれます。
(このことを「空」と表現したりもします。)

私達の意識とは、いつも一点のみに焦点を絞っています。
全く別々のことを二つ同時には考えられないようにできています。
そして、その一点に意識を向けると(これを「焦点化」と言います。)、そこに「それ」が創造されます。
自分のことを「私」として焦点化することで、「私」ができあがります。
自分のことを「私」として焦点化しなければ、「私」は存在しないことになります。
それが、私達の意識です。

宇宙も、それと全く同じです。
源(ソース)、・・・つまりはすべてがある状態の中から、焦点化が始まり、焦点化がさらに次の焦点化を生み、それが3次元的な物質の創造までに至りました。
最初の一点が、ビッグバンと呼ばれるものだと思います。

何が言いたいかと言いますと、私達は、自分の目で「見よう」としているものしか見ていませんし、見えているものしか「存在」していない、と思い込んでいる世界で生きています。
しかし私達はもう最初から、「すべてがある世界」の中で生きています。
ただ、焦点化して、その一部を見ているに過ぎません。
焦点化したものが現実化しますから、自分が無意識に焦点化しているものを「現実のすべてである」と勘違いしています。
でも、紛れもなく、すべては「今ここ」にあるのです。
私達は源(ソース)の中で生きているのです。

ブログ「私の使命について」でも書かせていただきましたが、人は皆、真本音発揮度合いが100%となることで、そのことを思い出すことができます。

すべては源(ソース)から生まれたもの。
私達人間もすべて、そうです。
私達は源(ソース)によってつながっています。(それを「集合無意識」と呼ぶこともあります。)
・・・というよりも、源(ソース)そのものであるという方が正確です。
そして、源(ソース)は「進化」を求めています。
それは強烈な(という言葉では表現できないくらいに強い)欲求、・・・いや、願いです。
なぜ「進化」を望むのか、そこまでは今の私にはわかりません。
しかし、源(ソース)は進化し続けようとしています。
焦点化とは、進化のための手段です。

焦点化することで、「それ」は創造されます。
創造とは、「分離」です。
つまり、「分離された何か」として存在することになります。
一度「分離」して、そしてまた「融合」される。
その過程を経ることで、進化は起こります。
一度、バラバラになったあとで一つに戻ることで、「一つであること」の意味を知り、「一つであることがどういうことか」を知ることができます。
そしてその「一つ」は、さらに強固な一つとなります。
それが進化です。
(あくまで、3次元的な表現をしています。本当は、そう短絡的なことではありません。)

私達人間も、そのために生まれました。
私達は、「分離」された存在です。
「自分」と「他人」、「自分」と「環境」というように、すべてを「分離」して見ています。
だからが故に、「一つになろうとすること」の重要性を学ぶことができます。
それを、一般的には「愛」と言います。
「愛」とは、不完全に分離された存在が、一つに戻ろうとする力です。

私達人間が、「一つになろうとすること」を通して学ぶことが、イコール、源(ソース)自身の学びとなります。
(・・・これも3次元的表現です。本当は、「私=源(ソース)」ですから、これは当たり前のことですね。)

真本音とは、そんな源(ソース)の意思とつながっているのです。

つづく

2011年02月08日

源と真本音8

「真本音体験」を積み、自分の中に二つの自分(真本音・反応本音)が存在することを実感できるようになれば、その結果として次のことがわかるようになるでしょう。

「真本音が反応本音を活かしている」

ということです。

さて、ここで前々回(第6回)のブログの例を思い出してください。
Aさんに一言言われ、カチンとして、それに反応して・・・という会話の例です。
その時は、「カチンときた反応的な気持ちに即して行動する」ことを「反応本音で生きる」、
「自分が変わらずに(揺るがずに)大切にしたい気持ちに即して行動する」ことを「真本音で生きる」、
・・・と表現しました。
しかし実は、真本音を普段から大切にし、真本音が活性化してきますと、上記の説明では短絡的過ぎることがわかるようになります。
例えば、真本音が活性化しているからこそ、「感情的に怒る」という行動に出ることもあり得るのです。
これは、「真本音が、怒りの反応本音を活かしている」という状態です。
真本音は、今ここで怒ることが最善の選択である、と瞬時に判断したわけです。

もともと、反応本音とは真本音が生み出したものです。
真本音が「現実」と向き合いながら、「現実」に対してより良い道を開くために生み出すものが反応本音です。
そう考えますと当然のごとく真本音は、「その時最も適切だと思われる反応本音」を活用するようになります。

しかし、真本音が活用した反応本音は、非常に「安定した出方」をします。
その結果として、「反応本音のみで起こした行動」と「真本音が反応本音を活用して起こした行動」では、根本的な違いが生じます。
まず、当の本人は、同じ「怒る」でも、真本音に基づいている場合は、どことなく安定感を得るでしょう。
人によっては、感情的になりながらも、どこか別の視点から自分自身を客観的に俯瞰しているのを感じるかもしれません。
そしてその相手は、かなり「心に来ます」。
つまり、その瞬間はさらに感情的になってしまうかもしれませんが、後で冷静になれば、そのできごとが、何らかの「良いカタチ」で心の中に残ります。

なぜ、真本音に基づけば、そのようなことになるのでしょうか?
そこにこそ、真本音の本質があるのです。

つづく

2011年02月04日

源と真本音 番外編

「源と真本音」というテーマで連載をさせていただいていますが、今日は番外編です。
昨晩、私に真本音から重要なメッセージが届きました。
いや、真本音というよりも、源(ソース)からのメッセージと言った方がより正確です。
それをこの場をお借りして、そのまま書かせていただきます。

 あなたが次に月を観るとき、あなたの心の鍵は開けられる。
 そして、あなたの心の扉は開放される。
 それは、あなたの潜在意識と顕在意識をつなぐ扉だ。
 その扉が開けば、あなたは自由を感じるだろう。
 自由となったあなたは、自由に決断・実行すればよい


すべての準備は整ったようです。
私から、あなたに近づくことはしません(できません)。
私は、あなたが来るのを、ずっとお待ちしています。


2011年02月02日

源と真本音7

私達は、3次元という現実世界に生きています。
眼前に現れる「現実」によって揺らされる心(動く心)が反応本音。
どのような「現実」を前にしても決して揺らされることのない心(安定した心)が真本音。
・・・と表現することもできます。
私達の心には、このような二つの自分が存在しているとみるとよいでしょう。

前回の最後に、企業研修でよくいただく8つのご質問を書きました。
企業研修では、できるだけその場で理論的にお答えするようにしていますが、実は、真本音そのものを実感することで、これらすべての疑問は氷解してしまいます。
なぜなら、真本音(揺らされることのない自分)とは圧倒的なものだからです。

真本音を実感するために有効な一歩は、自分の中に二つの自分が存在することを認識し、その視線で自分自身をいつも見つめることです。
特に何か現実的なことで揺らされているときこそがチャンスです。
その自分の心の奥に、揺らされていない自分自身が確かに存在しているのがわかるでしょう。
もしその存在がわかれば、そこに焦点を当てます。
すると逆に、揺らされている自分がより「観える」ようになってきます。
なぜ自分が揺らされるのか? 何によって揺れ動かされているのか?
・・・などが、より鮮明にわかるようになります。
その時点から、心が非常に楽になってくるのがわかるでしょう。
そして、奥にある「揺らされない自分」の存在が、いかに大きいか、実感できると思います。
そういった経験を重ねますと、例の8つの質問が、あくまでも頭で考えたの理論的・理屈的な思考の範疇でしかない、ということがよくおわかりいただけるのではないでしょうか。

それは例えば、「愛するとはどういうことか?」を机上で考えながらいくつかの疑問を持ったとしても、いざ「本当に人を愛する」ということを体験してしまうと、それらすべての疑問が一気に氷解してしまうのと似ています。

私は、一人でも多くの方々が、この「真本音体験」をしていただくといいなぁ、と強く思っています。
それは決して特別な体験ではありません。
視点を移しさえすれば、誰もが簡単にできることです。
しかも今の時代は、人々の潜在的な真本音発揮レベルが急速に高まっています。
「真本音体験」をしやすい時代でもあるのです。

つづく

2011年01月29日

源と真本音6

真本音と反応本音の関係を、さらに具体的にご説明してみましょう。

例えば、自分がどなたか(Aさんとします)と会話をしていたとしましょう。
Aさんの一言に、カチンときたとします。
そしてAさんに対して、こちらもきつい一言を返したとします。
カチンと来た気持ち、これは反応本音です。
つまり反応本音とは、外部からの影響によって、その反応として生じる心です。
私達が通常、「心」という表現を使うときは、この反応本音のことを指していることが多いと思います。
この例では、「相手からの行為に対して、反応本音が生まれ、反応本音で返した」ということになります。

それに対して真本音とは、外部からの影響によらず、常に自分の心の中に変わらずに在り続ける心、と言うことができます。
Aさんからの一言により、カチンと来たわけですが、その「カチン」という反応本音で返すのではなく、真本音に基づいてこちらが対応することもできます。
例えば、自分の真本音として「いつも人との信頼関係を大切にする」というものがあった場合、その視点から対応します。
すると、「Aさんはなぜあんな一言を発したのだろう? どうすればAさんと信頼関係を築けるだろうか?」という純粋な疑問が浮かび、Aさんの心の中を理解しようとする対応に出るかもしれません。
何を真本音として持っているか?については人それぞれ異なります。
しかし一つ言えるのは、真本音とは「自分の心の中に変わらずに存在しています」ので、それは「自分にとって本当に大切にし続けたいもの」であるはずです。
「自分にとって本当に大切にし続けたいもの」に基づいて行動できたときは、誰よりも自分自身が嬉しいですね。
上記の例で言えば、思わずカチンとした反応本音で返すよりも、自分の真本音に基づいて対応できたときの方が、後になって後悔することはないと思います。

まずは、最も簡単な説明の仕方をすると、以上のようになります。

・・・が、ここでですね。
よ〜く考えますと、次のような疑問が生まれませんか?
例えば、

*では、反応本音とは、その瞬間に生まれる突発的なものだけなの?
*外部の影響を受けて生じる心を反応本音と言うならば、私達の心は、すべて外部からの影響を
 受けながらできているのではないの? 
 ということは、すべては反応本音ではないの?
*例えば、「人を信頼する」という信念があったとしても、それも結局は外部からの影響の中で
 できあがったものではないの?
*それに、真本音を大切にしようと思っても、上記のような例でいくと、真本音を大切にすることで、
 自分の感情をガマンするので、ストレスがたまるのではないの?
*真本音で生きる、とは、聖人君子になることなの?
*真本音で生きる、とは、結構苦しいものではないの?
*真本音で生きる、とは、できることとできないことがあるんじゃないの?
*そもそも真本音って、危険なものもあるんじゃないの?

これらのご質問は、よく企業研修で受けるものです。

つづく

2011年01月28日

源と真本音5

人間である以上、すべての人に真本音は存在しています。
しかし残念なことに、その真本音の存在を知らぬままに生きている人がほとんどです。
どのような状況になったとしても、自分の中に「揺るがない自分」がいる。
それほどの安心感と心強さはありません。
自分が最も信じることのできる存在が、自分自身の中にあるのですから。

「自分を一番信じる、というのは危ないことではありませんか?」
時々、こんなご質問をいただきます。
「自分の真本音が、社会にとって悪であったり、他者を傷つけるものである場合はないのですか?」
こんなご質問をいただくこともあります。
それについては、また改めて詳しくご説明することになりますが、ここでは結論のみ申し上げましょう。
「全くそんなことはありません。」
この一言で断言できます。
真本音を見つけ、大切にすることによって「本当に自分を信じる」状態が徐々に高まります。
それによって自然に生じるのは、「他者を大切にする発想とふるまい」であり、「自分の環境を愛する発想とふるまい」です。
ですから例えば会社組織であれば、一人ひとりが真本音を大切にすることが組織全体の活性化に「直結」します。
なぜか?につきましては、また改めて書かせていただきます。

さて、話をもどしましょう。
それぞれの人の中には必ず真本音が存在していますが、その実感のない場合が多いです。
どうすれば、自らの真本音を実感することができるでしょうか?

実は、「真本音そのもの」を実感するためには、それなりの時間が必要です。
研修を受ければすぐにその場で、というわけにはなかなかいきません。
研修という場でできる最大のことは、「その人の真本音が願っていることを見つける」ことです。
「真本音そのもの」ではなく、「真本音が願っていること」を見つけるのです。
特にその中でも、次の一点を見つけます。それは・・・、

自分の真本音が、今自分は「どう在りたい」と願っているか?
自分の真本音が、今自分は「どんな生き方をしたい」と願っているか?

・・・つまり、「今ここにおける願い」を見つけるのです。
これをSCCでは、“ねがいのもと”と呼んでいます。

“ねがいのもと”とは、「真本音の、今ここにいる自分自身に対する願い」です。
「今ここ」の願いを見つけ、それを「今ここ」で大切にするのです。
すると、「今ここ」の真本音が活性化します。
活性化すれば、いやおうでも、真本音そのものを実感できるようになります。
真本音そのものを実感できるようになれば、真本音の望む方向に人生を進めることができます。
その結果として、自分が人生で本当に望んでいるビジョン(つまり、真本音のビジョン。これを「人生の願い」と呼んでいます。)が明確になります。
「人生の願い」が明確になり、その方向に歩み始めると、私達人間は誰もがその一歩一歩に至福を感じます。
つまり至福の人生とは、自らの真本音を大切にすることから始まります。

「人生の願い」につながる「もと」となりますから、私共はこれを“ねがいのもと”と呼んでいます。
しかし企業研修では“ねがいのもと”という名称は使っていません。
企業研修ではこれを「人生理念」と表現しています。
ビジネス的に受け取りやすい表現を使っているわけですが、その本質は同じ意味です。

「人生理念」という言葉は、他でもよく使われていますが、私共が最も大切にしていることは、「それが真本音であること」です。
そしてその「真本音の人生理念」を見つけることを、すべてのスタートと位置付けています。
現在の企業研修では、約1日かけてグループコーチングセッションを行ない、そこで23問の問いにお答えいただくことで、自然に「真本音の人生理念」を見つけます。
そしてその上で、2日目からお仕事のテーマや課題と向き合うというスタイルが、今は基本です。
「真本音の人生理念」が見つかるだけで、心のパワーレベルは一気に高まります。
パワーレベルが高まった状態で、現実(会社やお仕事のことなど)と向き合えば、これまでとは全く異なる発想が生まれるわけですね。

つづく

※パワーレベルに関しましては、
 左欄のカテゴリ「私の使命について」全30回をお読みください。

2011年01月26日

源と真本音4

真本音の存在を知ってから、私の人生は劇的に変化しました。
そして私の仕事、・・・研修もコーチングも、大きな変化を遂げました。
その人の希望や願いやビジョンや欲求を掘り起こすにしても、ただやみくもにそれをすればよいわけではなく、それがその人の「真本音かどうか?」もしくは「真本音とつながっているかどうか?」が非常に重要になったのです。
そしてそこを一番のポイントとして押さえるようになってから、研修やコーチングをお受けになった皆様のご様子が、明らかに変わりました。
研修を通じて、心のパワーレベルが上がるようになったからです。
(※パワーレベルに関しましては、左欄のカテゴリ「私の使命について」全30回をお読みください。)

企業研修では、初めての方々には、次のようにお伝えしています。
「真本音とは、自分の中の揺るがない心。
反応本音とは、状況によって揺らぐ心です。」

・・・私達の心の中には「揺らぐ部分」と「揺るがない部分」があるという話は、一見当たり前のような気がします。
しかし、そういった視点で常に自分の心と向き合えば、実に様々なことに気づくようになります。
しかも、「では、何が揺らいでいて、何が本当に揺るがないのか?」という、さらに一歩深い視点を持てば、これはもう、深くて果てしないテーマであることがわかります。
でもそのテーマを持ちながら生きるだけで、私達の人生は「本当に望む方向」に動き始めます。

真本音・反応本音という視点を持つことで、人の人生、人のコミュニケーション、人の社会、などなど、人の営みに関するすべての物事を、非常にシンプルにわかりやすく捉えられるようになりました。
一見複雑に絡み合っていることも、この視点から観察することで、実にシンプルに理解できることも多いです。
シンプルとは、物事を動かす原動力になります。
「真本音・反応本音」を実感として捉えること、そして「真本音・反応本音」を思考ベースで捉えること。
その二つを、今の私の研修では大切にしています。

つづく

2011年01月25日

源と真本音3

私の心の中に忽然と姿を現した、広大な「海」。
私はそれを「真本音」と名づけたわけですが、実はそう名づけたのは、もう少し時間が経ってからのことです。

「海」を観てから、面白い現象が起こるようになりました。
何か物事の判断をしようとすると、自分の心の奥の方から心の声が浮かんでくるのです。
それは「海」からの声でした。
ですから、当時の私は「海」のことを「奥の自分」、そして通常の自分の心のことを「表面の自分」と呼び、自分自身で区別とつけるようになりました。
面白いのは、「奥の自分」の声に従って行動をすると、物事が予想外にスムーズに進むようになったということです。

例えば、こんなことがありました。
ある人(Aさんとします)と会話をしていました。
実はちょっと問題が起きており、かなり難しい局面での会話でした。
私はAさんの言うことにカチンときました。
それまでのいつもの私でしたら、そのカチンときた一言に反応して、何らかの一言を返していました。
それをしようと思った瞬間に、「奥の自分」が浮上してきたのです。
私はその「奥の自分」に任せてみました。
すると、自分が当初言おうとしている内容とは全く別の一言が口から出たのです。
その瞬間に、Aさんの心が氷解しました。
急に雰囲気があたたかいものに変わり、その後、私はAさんととても良い会話ができました。
まさかそんな展開になるとは思いもよらなかった私は、自分でも本当にびっくりしました。
でもよくよく後で考えますと、その意外な一言こそが、実は私が最もAさんに伝えたかったことだったのです。

こういった経験が続くことで、私の企業研修は根底から変化しました。
SCCを立ち上げる前から、私は企業研修をバリバリに行なっていました。
「自分の人生を大切にして、それを仕事と結びつけましょう」という主旨のこともすでにやり続けていました。
しかし、私の研修は根底から変化したのです。

「真本音・反応本音」という言葉は、その企業研修の中で生まれました。
当然のことですが、企業研修の場で「海」の話も、私が苦しんでいた経験も話すわけにはいきません。
もっと理論的にわかりやすく、ニュートラルにお話ししなければなりません。
しかも本質から外れずに、本質をきちんと捉えていることが必須です。
「奥の自分」の存在をいかに伝えていけばよいのか。
かなりの思考錯誤を繰り返しました。
その中で生まれたのが、今の私の研修のスタイルです。

つづく

2011年01月24日

源と真本音2

人生の苦しみというのは、誰もが体験することです。
私にも、もちろんあります。
私にとって、人生で最も苦しかったのは、恐らくSCCを立ち上げる前後の時期でしょう。

その時のできごとや状況、そして心の状態は、今でも具体的に人に語ることはできません。
しかしあの体験があったからこそ、SCCは立ち上がり、私の「人生の願い」は始まりました。

本来、苦しみとは、自分自身の心が創り上げているものです。
自分で自分を追い込み、追い込み、追い込み、そしてついには、その苦しみに耐える力を失うところまでいきます。
自分で自分を追い込む、・・・それが私達人間の苦しみの正体です。
そして私も、その限界までいったことがありました。

その時、私は自分の心の中に存在する限界線を確かに見ました。
それは一つの境界でした。
もう一歩進み、その境界を越えれば、恐らく私の気は狂うだろう、ということがわかりました。
気が狂ってしまえば、なんと、楽なことか。
あぁ、楽になりたい。
・・・私はそう思いました。

これと似たことが、昔々にもありました。
学生の頃、私はワンダーフォーゲルという登山をするクラブにいました。
50kgのザックを背負い山を歩くという、かなりハードなことをやっていました。
一年生の頃、その練成合宿で、ザックに石を詰め、ちょうど50kgの重さにした状態で山道を歩くという訓練をしました。
初めてそれをしたとき、あまりの苦しさに私は、死んだ方がましだと思いました。
ある崖っぷちを通った瞬間、本気でそこから落ちてやろう、と思いました。
その時の誘惑と同じでした。
私は本気で、このまま一線を越え、気が狂い、何もかもがわからない状態になってしまおう、と思ったのです。

しかしその時、私の背後から私を止める存在がありました。
それは、もう一つの自分自身の心でした。
それはそれは強い力でした。
私は、そのもう一つの自分の心に止められ、なんとか現実世界にもどったのです。

そんなことが、幾度となく続きました。
本当に苦しい時期でした。
でも、ついに本当に限界を越えそうになりました。
何度目かのとき、私は本当に決心したのです。
今度こそ、本当に私は限界だと。
人生のすべてを捨ててしまおう、と。
そして、最後の一歩を今まさに踏み出そうとしたのです。

するとその瞬間でした。
これまでとは次元の違う、圧倒的な力を、私は感じたのです。
はっと振り返ると、そこには「海」がありました。
果てしなく広がる「海」が観えたのです。
無限に続く輝く「海」でした。
それを観た瞬間、私の心の中にあったドス黒いもの達が、一瞬にして消散しました。
私はただ茫然と、その「海」を眺めるだけでした。

それは圧倒的な存在でした。
自分の心の中に、こんなに大きくて広くて深い「海」があるんだ。
こんなに揺るがない、完全なる存在があるんだ。
茫然としながらも、目からは涙が流れ続けました。
ある意味のあきらめを、その時の私は感じていました。
「もう抗えない。
 私の心の中には、こんなに凄い自分がいるんだ。
 この自分にはもう、抗うことなどできはしない。」

その「海」こそが、私が初めて目にした「本来の私」「真の私」の姿でした。
私は、それを「真本音」と名づけました。

つづく

2011年01月23日

源と真本音1

今日も大きな気づきがありました。
それは、「パワーレベル」と「意識の次元」の違いについてです。

まずは、結論だけを書きましょう。

「パワーレベル」とは、「真本音との結びつきの度合い」を表す尺度です。
そして「意識の次元」とは、「源(ソース)との結びつきの度合い」を表す尺度です。

・・・ということになります。
これがわかった瞬間、目からウロコが落ちたかのように、私はスッキリ合点がいきました。
しかし、この意味をきちんとご説明するためには、真本音とは何か、源(ソース)との違いは何か、・・・などをきちんとご説明しなければなりません。
そしてそれは、真本音の本質を明らかにすることにもなります。
よくよく考えましたら、このブログでは、真本音について、ダイレクトにきちんとご説明したことがありません。
そろそろその時期が来たようですね。

ということで、・・・
現在このブログは、真本音で生きる人(もしくは、真本音で生きようとしている人)へのメッセージとして書かせていただいていますが、
ではそもそも真本音とは何か? というところをじっくりと語ってみることにします。

つづく

※「パワーレベル」や「源(ソース)」の詳細につきましては、
 左欄のカテゴリ「私の使命について」(全30回)をお読みください。