こんにちは、竹内です。

コーチングというお仕事をさせていただいております。
私はとてもマイペースでのんびりしていますので、カタツムリのようだと言われます。
「コーチ・エスカルゴ」などとも呼ばれています。
ブログというのも、実は初めて書きますので、何を書けばよいのか・・・。
考えていてもわからないので、とりあえず、書き始めることにしました。
あとはのんびり、自然な流れに乗りながら、だんだんとコンセプトを固めていきたいと思います。

2011年05月01日

意識の次元と自由28(最終回) 〜人間は・・・

自分のために生きるのと、人のために生きることは、全くのイコールです。
もし「イコールとは言えない現実」を感じているならば、どこかに歪みがあるはずです。
多くは、自分自身で起こしている歪みです。
「自分のために」と言いながら、自分自身の心を無視していたり、
「人のために」と言いながら、人を全く観ていなかったり。
何度も何度も書きますが、すべての(次元の)現実をあるがままに観ることが、自分も人も共に愛することのスタートです。
そして、自由に生きることのスタートとなります。

本来の自由とは、環境に因るものではありません。
本当に自由な人とは、どのような環境にいても、自由に生きています。
それは、心が自由だからです。
心が自由、とは、すべての次元の心が自由、という意味です。
すべての次元の心が自由になることで、私達は誰しもが、本来の自由を実感します。

「意識の次元と自由」というテーマで、ここまで書かせていただきました。
とりあえずこのテーマとしては、今回を最後とします。
まだまだ書き足りないことや、書かねばならないことはたくさん湧いてきますが、
それはまた別のテーマと視点から書かせていただくことになりそうです。

人は誰しもが、自由を欲しています。
自由になれば、喜びを感じます。
しかし3次元レベルで、どれだけの自由を手に入れても、どこかに不安があったり、
満たされないものを感じ続けているのも確かです。
それはいったい何なのか?
私達人間にとっての本当の自由とは何か?
どうすれば、本来の自由を手に入れられるのか?
このテーマは、今後も私の人生の探究テーマであることに変わりはありません。
現時点で私が「公の場」で(笑)、発信できることは書かせていただきました。
このテーマで、皆様とディスカッションできるとよいですね。

ブログは、これからも私の真本音の意図のままに、続けて行きます。
これからもどうぞ、よろしくお願い申し上げます。


“人間は、淡くて、深い。”

人間であることを、堪能し尽くしましょう。


2011年04月30日

意識の次元と自由27 〜自らの愛を知る

無償の愛、という言葉があります。
とても崇高な感じがします。
人によっては、「自分には無理」と思ってしまうかもしれません。
しかし本来、愛とは無償のものです。
というよりも、有償・無償という概念とは関係のないものです。
本来の愛を発揮しているとき、現象としてそれは「無償の愛」という形に見えるだけのことです。
そしてそれは、何の特別なことでも、難しいことでもありません。
私達の心が自然体で健康であれば、それはいつでもどこでも発揮され続けるものです。

先日、ある企業様で個別コーチングをしていました。
個別コーチングとしては初めてのクライアントさん(Aさんとします)でした。
Aさんはご自分のことを、「自分勝手な人間だ」と言われていました。
「だから自分はもっと思いやりを持たなければならない。
 もっと他人の立場に立って、ものを考えなければならない。
 でも、それがなかなかできないのです。」
と言われながら、苦悶の表情をされました。
Aさんはある部署のリーダーです。
リーダーとして、今のままの自分では全くダメである、と自己評価されているのです。

しかし私は、そんなAさんから「愛」を感じました。
Aさんと向き合った瞬間から、私の心は癒され始めました。
あぁ、この方は本来の愛を発揮され続けている方なんだな、とわかりました。

以前にも書きましたが、愛とは、行為ではありません。
他人の立場に立てたら愛である、・・・ということではありません。
愛とは、パワーです。
不完全を完全にしようとするパワー、つまりは、別存在(自分とは別個のもの)と「一つになる」という方向に向かおうとするパワーです。
別個の存在が、統合そして融合へと向かうパワーです。

統合・融合へと向かうための第一歩は、その別存在に対する「理解」と「尊重」です。
「理解」とは、「ありのままに知ろうとすること」です。
「尊重」とは、「ありのままを存在承認すること」です。
別存在を本当に理解・尊重しようとしているかどうかは、その人の眼差しにすべて現れます。
人の眼差しは、すべてを物語っています。
Aさんの眼差しが、まさしくそうでした。

自分がどれだけ周りに愛のパワーを注ぎ続けているか。
その事実に気づいていない方は、残念ながら、非常に多いです。
しかし面白いことに、
「あなたはすでに、本来の愛を注いでいますよ。」
と一言フィードバックするだけで、多くの場合は、「あぁそうか。確かにそうかもしれない」と合点がいきます。
本当は、自分自身がそれを一番よくわかっているのですね。

「私は愛を注ぎ続けている存在だ」という事実を知ったその瞬間から、
その人の心は自由になります。
自由になったその瞬間から、高次元の意識が発動し始めます。
そして、高次元の意識に基づいた発想と行動は、周りに大きなパワーを与え始めます。

自らの愛を知ったとき、人は自由になれるのです。

つづく

2011年04月25日

意識の次元と自由26 〜高次元の自己理解を

私達は、自分の姿を直接観ることができません。
たとえ観れたとしても、鏡を使うほかありません。
自分が普段どのような表情をし、どのような雰囲気で、どのように振る舞っているか。
そのほとんどを知らないままに、私達は生きています。
そういった意味で、自分のことを一番よくわかっていないのは、自分自身かもしれません。

それは3次元的な振る舞いだけではありません。
自分の心であるにも関わらず、自分自身が全く理解できていない、という人はとても多いです。

すべては自己理解から始まります。
自己理解できてこそ、本当に望む人生とは何か?がわかります。
自己理解できてこそ、自分の創り出している「現実」を理解できます。
そして最善の道が観えて来ます。

自己理解の第一歩とは、低次元の自分の心をありのままに観る、ということです。
この心は良いけど、この心はダメ、というように選り分けをしない、ということです。
すべての存在を承認する、ということです。

しかしそれだけでは、本当の自己理解とは言えません。
本当の自己理解とは、高次元の自分の存在を自分自身が認識することによって成されます。

残念ながら私達人間は、多くの場合、何か大きな「こと」に出会わない限り、高次元の自分を思い出すことができませんでした。
例えば、今回の東日本大震災。
人生を揺るがす大きなできごとによって、自分の中に眠る知らない自分を知ることのできた人は多いようです。
こういった「こと」がない限り、私達人間は本質的な変化ができないのでしょうか?

いえ、それは違います。
私達は意図的に、自ら、自分自身の魂の成長を促すような変化を生み出すことができるのです。
それをすべき時代が、今です。

「真本音」。
すべての可能性は、この一言に集約されます。
私達の心には、真本音があります。
真本音で生きることこそが、すべての鍵となります。

人は、真本音で生きれば生きるほど、心が自由になれます。
心が自由になるための、最大最善の方法は、真本音で生きることです。
そして心が自由になれば、高次元の自分が自然に現れます。
それが、本当の自己理解につながります。

高次元の自分を理解できればできるほど、真本音はさらに活性化します。
真本音とは、高次元の自分の意思に他ならないからです。
そしてその真本音に即して生きれば、私達の心はさらに自由になります。
・・・その好循環を自ら意図的に起こすことで、私達は魂レベルの変化と成長を遂げることができます。
本当に望む人生を自ら理解し、自ら創り出すことができます。

それをすべき時代が、今なのです。

外的環境の変化によって自分を変える時代は、もう終わりです。
いや、もう終わりにしましょう。
これからは自らの意図と意思で、自らを変えていきましょう。

そういった時代にするのは、私達自身なのですから。
私達は、そのために生まれて来たのですから。

つづく

2011年04月22日

意識の次元と自由25 〜すべてを思い出す

私達のこの世界は、とてもゆるやかに時間が進んでいます。
「現実」の展開するスピードも、ゆっくりです。
欲求や思考が瞬時にして実現する心の中の世界に比べると、まどろっこしさを感じるくらいの世界です。
しかしだからこそ、この3次元世界でしかできないことがあります。
3次元世界でしか試せないことがあります。

私達人間が、個人として到達できる最高次元は9次元です。
(何度も書かせていただきましたが、本当はもうすでに9次元の自分は、誰にも存在しています。しかし眠ったままの状態の人が多いのです。)
9次元とは、「完成の次元」です。
それは、人としての完成、を意味しているのではありません。
もうすべてが「完全に成り立っている」(=完成)ということを、思い出している次元です。
この次元の意識を取り戻すことで、私達は、様々なことを思い出し始めます。
9次元とは、「すべてを思い出す」次元です。

その中でも特に重要なのは、
自分は、どこから来て、
ここで、何をして、
どこに行くのか、
・・・という根本的・根源的問いの答えを、思い出せるということでしょう。
そしてそれを思い出すことで、本当にわかるのです。
「あぁ、すべてはもう完成されているのだ」と。

9次元の私達は、もうすべてを知っています。
そして、もうすべてを決めています。
すべてを知り、決めた状態で、3次元世界で行動をします。
3次元世界だからこそ、今自分は何をすればよいのか?
3次元世界だからこそ、今自分はどう振る舞えばよいのか?
その時その時の最善を尽くし続けることができます。

私達は、3次元世界での「今ここ」で生きています。
「今ここ」にこそ、すべてが存在しています。
「今ここ」にこそ、すべての答えがあります。
「今ここ」がすべてです。

すべてを思い出した(9次元)自分が、
すべては私である(8次元)という真実に基づいて、
すべてを愛する(7次元)。
・・・それが本来の愛です。
本来の私達の姿です。
無理にそのような状態の自分を創るのではなく、私達の心は自由になればなるほど、
そのような状態に近づいていきます。
自然に。
やすらかに。

そしてこの本来の愛につながる愛のカタチを、私達は「これこそが本物の愛だ」と認識します。(6次元)
そして、それが「本物かどうか」を見極める目を養うために試行錯誤します。(5次元)
さらに、試行錯誤を拒絶し我欲に走ったり、試行錯誤をしている「つもりになっている」心の状態もあります。(4次元)

私達の中には常に、9次元から4次元までのすべての心が存在しています。
大切なのは、すべての心は「つながっている」ということです。
4次元がいけない、というわけではありません。
4次元も、実は9次元とつながっていることを、思い出すことこそが重要です。

すべての次元がつながっており、すべての次元を活かすことで、魂の成長を遂げて行く。
それこそが、私達「人間」です。
人間は、人間として人間らしく生きることが、最も美しいですね。

つづく

2011年04月21日

意識の次元と自由24 〜すべては私であるA

自由とは、実現するものではなく、すでにここに在るものです。
愛とは、実現するものではなく、すでにここに在るものです。
私達の多くは、すでに実在するものを、「もともとは実在していない」と思い込み、「実現しなきゃ」と思い込み、その前提の上で自分の心を動かしています。
自分自身を動かしています。
本来は自然に在るものを、無理に人工的に創り上げようとします。
それが、愛と自由が歪んで行く根本要因です。

人は人、神は神。 (あえてここでは、「神」という言葉を使わせていただきます。)
人は神ではないし、人は神にはなれない。
・・・このように私達は、人と神を別個のものとして捉えています。
神とは特別なもの。
人とは未完成で未熟なもの。
実は、その前提がすべてを歪ませる根本要因です。

人は神にならねばならない、という話をしているのではありません。
そうではなく、「完全なもの」と「不完全なもの」を分けて考えるところに、本質的な無理がある、という話なのです。

本当は、すべてはもう完成されています。
完全なものも不完全なものも、すべてはあるがまま。
すべては今、ここで完成しています。

愛とは、不完全を完全にしようとするパワー。
しかし、すべてはもう完成されている。

そう捉えたとき、何が観えますか?
何がわかりますか?
そして、何を感じますか?

今、目の前にAさんがいます。
Aさんとは、完成された存在です。
そして自分自身も、完成された存在です。
共に完成された存在です。
それを前提としたとき、Aさんとどのように関わりますか?
Aさんへの愛はどうなりますか?

それが、本来の愛のカタチです。
本来の自由のカタチです。

その本来のカタチを生み出しているとき、
私達は「すべては私である」ことを、完全に受容しています。

つづく

2011年04月20日

意識の次元と自由23 〜すべては私である

何もかもが、実は「完全なるもの」です。
人も物も、この世に存在する、ありとあらゆるものはすでに「完全なるもの」として、ここに在ります。
しかし残念ながら多くの人は、完全であることを信じていません。
思い出していません。

自分は「完全なるもの」であると認めることができたとき、「すべては私である」という衝撃の事実がわかります。
しかしそれは、実は衝撃でもなんでもなく当たり前のことであり、ただ忘れていただけのことです。
ですから、本当にその事実を理解したその瞬間は、まるで松葉杖をつきながら歩いていたその状態から普通に立って歩けることがわかったような、安堵の気持ちに満たされます。

「すべてを愛する」という生き方のその先にあるのが、「すべては私である」という真実です。
これを目の当たりにすることで、私達は8次元の意識を取り戻します。
8次元とは、「融合の次元」です。

愛とは、パワーです。
愛とは、行為ではありません。
例えば、人を抱きしめるという行為だけでは、抱きしめられた人は満たされません。
そこに、愛というパワーが宿ってこそ、その人は満たされ、幸せを感じます。

すべてを愛することのできる人は、たとえ「わがままを言う」という行為をしていたとしても、それは愛で満たされています。
その「わがままな行為」によって、周りに愛を注ぎ続けます。

いついかなるときも、愛というパワーを注ぎ続けることができる。
それが、人の本来の姿です。
なぜなら人は、統合から融合へと向かうために、存在しているからです。
その自然の摂理に則っている姿が、人の本来の姿です。

統合も融合も、一つになることです。
「統合」とは、別個のものが統一された一つの方向を向くことで「別個だからこそ実現できる“一つ”というカタチ」を取っていることを言います。
7次元の意識で生きる人は、それをあらゆるところで実現しようと動きます。
そして「融合」とは、統合の結果として「完全に一つになる」ことを言います。
すべてを愛しながら生きている人は、ある時、「すべては完全に一つであった」ということを、頭ではなく実感として知ります。
すると、愛のカタチは「すべては私である」という言葉そのものとなります。

「すべては私である」という愛のカタチは、6次元レベルでの愛のカタチとは随分と違ってきます。
6次元も「本物の愛」ですが、この8次元の愛とは、「本物か偽物か」という次元を完全に超えています。
そして、「人を愛せるかどうか?」という次元も、「すべてを愛せるかどうか?」という次元も、すべてを超えています。
そんなことはどちらでもよい、・・・というよりも、両方ともが真実となります。

ここに至って、私達は、「自由」というものが本来はどのようなものか、を知ることになります。
「自由」とは、実現するものではなく、すでにここに在ったのです。

つづく

2011年04月18日

意識の次元と自由22 〜すべてを愛するA

何度も書かせていただいていることですが、高次元の自分になるということと、心が自然体になることはイコールです。
高次元になればなるほど、私達は本来の自分を思い出し、楽に自由に生きることができます。
「すべてを愛する」とは、楽であり自由であり、そして自然な行為です。

「愛」とか「愛する」という視点は、自分の今の意識の次元を把握するためのバロメーターともなります。
なぜなら「愛」とは、

不完全を完全にしようとするパワー

・・・だからです。

私達が誰かを(もしくは、何かを)「愛したい」と、ごく自然に思えているとき、私達の心は健康です。
しかし、「愛さなければ」とか「絶対、愛するのだ!」など、変に力が入っているときは、心のどこかに無理が生じています。

不完全を完全にしよう、という意志は、源(ソース)そのものの意志です。
私達の源(ソース)は、人間という「個々の存在」を生み出すことによって、「完全になること」を目指します。
源(ソース)とは、もともと完全なるものですが、さらなる進化のために、あえて「完全ではない状態から、再び完全を目指そう」とするのです。
ですから、不完全を完全にしよう、という意志は、私達すべての人間の魂に流れ続けている根本的な欲求であり、願いです。
そこから生み出されるのが「愛」というパワーです。
ですからそれは、私達人間にとって、最も自然なものの一つです。

最も自然なものの一つを、ただそのままに発揮すればよいのです。本当は。
ただそれだけのことで、この3次元世界も調和を始めます。

「愛」とはパワーです。
ですから、自然の「愛」を発揮し始めれば、自然に「すべてを愛する」ことになっていきます。
その自然さを、思い出す時代が来ました。

すべての方々の心が、「もと」の状態にもどることを切に願っています。
自然の自分にもどることを切に願っています。
そのためにできることは、私はすべてを行ない続けます。

つづく

2011年04月17日

意識の次元と自由21 〜すべてを愛する

「愛」と「自由」とは、切っても切れない関係です。
本当の愛とは、私達を開放し、自由にしてくれるものだからです。

愛とは、「何も愛さない」か「すべてを愛する」かの、二つに一つしかありません。
えぇ〜っ? そんな馬鹿な!
と思われるかもしれませんが、そうなのです。
二つに一つなのです。

7次元の意識を取り戻すことで、私達はそれを思い出します。

6次元とは「本物の次元」でした。
5次元の意識が試行錯誤を続けた結果として、「何が本物か?」を知ることができます。
すると、私達の意識は6次元を取り戻します。
そしてそこで得られた「本物」を大切にし続けることで、上記の「二つに一つ」ということがわかるに至ります。

「すべてを愛する」意識、それが7次元です。
7次元を、「統合の次元」と言います。

「すべてを愛する」という言葉を聞きますと、「そんなことは無理だ」とか、「それはよほどの人格者か聖者じゃなければ為し得ないことだ」とか、「それは苦しそうな行為だ」とか。
そんな印象が湧くかもしれません。
しかしそれらの印象そのものは、4次元ないし5次元の意識です。

「一人を愛する選択をすることで、別のもう一人を愛せなくなる、ということがたくさんあるではないか。」
確かに3次元世界の視点では、その通りです。
しかしやはりその発想そのものも、4次元ないし5次元の意識です。

例えば、今日から「すべてを愛そう」としてみるとします。
できるかどうかではなく、してみようとします。
どんなシチュエーションでも、「今、すべてを愛そうとすれば、何が最善か?」ということを考え、できるところから行動に移してみます。
それは、始めはとても難しいことだと思うかもしれません。
でも、それでもやり続けてみます。
すると、ある瞬間に、すべての合点がいくときがきます。
あぁ、そうか。
「すべてを愛する」のか「何も愛さない」のかの二つに一つである、と。
そして、「すべてを愛する」方が、圧倒的に私達の心は楽であり、自由である、と。

ポイントは、「できるところから、できることのみを行なってみる」ということです。
無理をしないことです。
これをすることで、高次元の自分が現れ始めます。

特に現在の日本人は、この7次元の意識を、早く思い出す必要があります。
さきほどから「取り戻す」とか「思い出す」という言葉を使っていますが、まさしくその通りなのです。
私達はそれを、ただ忘れているだけです。
そして、思い出すことを人生の第一目標に置いている人が、日本人には多いのです。
多くの皆さんの真本音の声を聴いていれば、それは明らかにわかります。

苦境に立つ今の日本が、本来の姿を取り戻すために最も必要なことの一つが、これなのです。

つづく

2011年04月16日

意識の次元と自由20 〜自分らしくあってほしい

自分らしさ、とは何でしょうか?
自分の自分らしさって知っていますか?
案外これ、わからないんですよね。

「これは私らしい」と思っていることの多くは、表層的なものであったりします。
特に、4次元の自分の意識を観ながら、「これが私らしさかなぁ」と言っているケースが多いようです。
「私は、こういうときにすぐに落ち込む。」
「私は結構、寂しがり屋。」
「私は、とにかく短気だ。」
・・・
特に自分の短所は見つけやすく、「それが自分らしく」そして「それを直そう」とします。

「長所を伸ばすとよい」とも言われますが、その長所も表層的なものばかりが目に映り、肝心の本質的な自分の魅力に気がついていない人が多いようです。

残念ながら現実問題として、自分で自分のことは、よくわかりません。
本当の自分らしさも、よくわかりません。
それでいいではないか、と私は思います。

むしろ、「これが私らしいのだ」と自分で決めつけることは、自分に低次元の枠をはめてしまうことになるのでは。

真本音を大切に生きているとき、その人らしさは、その人の気のつかないところでどんどん溢れています。
「自分らしさってよくわからないけど、でも今の自分は自分らしいような気がする」
・・・でよいと思います。

真本音で生きようとし続けることで、高次元の自分は目を覚まします。
高次元の自分は、自分がどんな時に自分らしくなれるのか、自分に本当はどんな魅力があるのか、などを、よ〜く知っています。
人は、自分の人生の本当の願いや使命に向かうことで、自分らしさと魅力は最大限に発揮するようにできています。
なぜなら、それが役割だからです。
生まれてきた意味だからです。
本来の役割を担うときに、本来の自分が出るのは、当たり前のことですね。

高次元の自分がすでに決めている役割。
それは、自分を縛るものではありません。
それは、自分を本当の自由に導いてくれます。
それを見つけましょう。
答えは、全員がそれぞれ必ず持っています。

東日本大震災の後、まだ不安定な状況が続いていますが、最近、とても実感しています。
人々の意識の根底にあるものが、変わり始めている、と。
そして、日本全体のパワーレベルが上がったということを。
不安定な中でこそ、私達はもう一度まっさらな気持ちで、自分自身と向き合いましょう。
真本音の自分として生き、自分の本当の役割を見つけましょう。
今こそ本当に、私達らしく生きるために。

つづく

2011年04月15日

意識の次元と自由19 〜感情コントロール?

私達の多くは、感情に飲まれます。
感情とは、反応本音の一つです。
その時湧いた感情のそのままに動いているとき、私達は感情の中にいます。
つまりは、その反応本音の中にいます。

感情をコントロールしたい。
そんな希望をお持ちの人は多いです。
どうすればそれができるでしょうか?

感情をコントロールするための最大の方法は、「感情をコントロールしよう」とする心を横に置くことです。
つまりは、心の中は感情の趣くままに、自由にしておくのです。
そして、すべての感情を「観よう」とします。

「観る(みる)」とは、「意図的にしっかりみる」という意味と、「ありのまま、あるがままをみる」という意味があります。
その感情に対して「良い」とか「悪い」という判断や評価をせずに、ただそれがそこにあることを観ます。
「観る」ことができれば、私達はもうその瞬間に、感情から離れていることになります。
感情から離れることができれば、その他の気持ちも実は自分の心の中には存在していることに気づくかもしれません。
自分の中には、実に様々な心が存在していることがわかるでしょう。
それは、自己理解につながります。

さて、感情から離れた自分はどこに行くのでしょう?
実はここで、自分がいつも、どの次元の意識で生きているか、が影響します。

感情の多くは4次元です。
例えばいつも4次元で生きている場合は、せっかく4次元の感情から離れたとしても、別の4次元の気持ちの中に入ってしまうだけとなるでしょう。
4次元の意識を渡り歩くだけ、という状態です。
しかしさらに高次元の意識で生きている場合は、その高次元の意識にもどることができます。
以前にも書かせていただきましたが、私達の心は高次元になればなるほど、我欲からは離れます。
周りに目が向かいます。
つまりは高次元になればなるほど、その状況の中での最善の判断がつきやすくなります。

例えば、Aさんに「怒り」という感情が湧いたとします。
そしていつもAさんは6次元で生きていたとします。
怒りを感じたAさんですが、怒りの気持ちを観た瞬間に怒りから離れ、ストンと6次元の自分の意識に落ち着きます。
するとそこで例えば、6次元の愛(=本物の愛)に基づいた発想が生まれます。
それに従い行動することで、Aさんはどれだけ怒りが湧いても、それを超えたところでの人生の現実を創り上げることができます。

感情(4次元)という不安定な心から離れ、6次元という安定した場所に降り立つ。
降り立ったことによって、感情(4次元の気持ち)が消えるわけではない。
それらはただそこに在り続ける。
自由に在り続ける。
すべてが自由のまま。
その状態で、自分の最も選択したい行動を選択する。
時には、あえてその感情に意図的に身を任せてみる。
・・・それが、セルフコーチングの基本であり、そしてそれが、自由な生き方です。

自分の中のほんの一部の心(例えば、感情)のみに囚われて生きるのは決して自由ではありません。
すべての心を存在承認し、すべての心を自然のままにし、その上で自ら選択をするのが、自由な生き方です。
それこそが自分への愛です。

つづく

2011年04月11日

意識の次元と自由18 〜5次元から6次元へ

人と人は、ぶつかり合います。
当たり前です。
それぞれが別の心と体を持っています。
目の前の人が幸せだからと言って、自分が幸せであるとは限りません。
目の前の人が苦しんでいるからと言って、自分も同じ苦しみを感じるとは限りません。
どれだけ理解し合おうとしても、どうしても理解し切ることができないのが、私達人間です。
自分の本当に伝えたいことが、完璧に完全に他者に伝わる、ということは滅多にありません。
3次元の世界で人間として生きる、ということはそういった制約の中で生きるということです。

だからこそ、私達は「本当は何が大切か?」を学ぶことができます。
わかり合うとはどういうことか? 愛し合うということはどういうことか?
・・・などを、知ることができます。
皮肉なことに、「本物ではない状態」を経験することで、「本物とは何か」を学べるのです。

「本物とは何か?」
「本当は、何が大切か?」
この問いに真剣に向かう心。
それが、5次元の意識です。
5次元の意識は、いつも迷っています。
本物を探して、いつも試行錯誤を繰り返しています。
それは、あまりにも人間っぽい行為です。
人間としての可愛らしさのいっぱい溢れる意識達です。

4次元とは、我欲の次元でした。
すべては「我欲」を基点に思考・行動し続けています。
その我欲から一歩抜け出て、我欲を超えた「本物」を求め歩き続けるのが5次元。
ですから、この次元を「試行の次元」と呼びます。

そして、「本物が何か」を知ることができれば、私達の意識は6次元に達します。
6次元とは、「本物の次元」。
本物を知っている意識です。
「愛」という視点で言えば、「我欲の愛(=自己愛)」と「本物の愛」を区別できるようになります。

現在の日本人で、6次元の意識を思い出している人の割合は、ほぼ25%です。
つまりは4人に一人です。
あとの多くの方々は、試行の次元にいます。
そして、6次元の意識を思い出した方々の中でも、実にその4分の3が20代までの若い人達です。
よく言われていることですが、今の若い人達の魂レベルは非常に高いです。
それは、今回の震災後の彼らのふるまいを見ていれば、よくわかります。
若い人達からこそ、私達大人は学ぶことがあります。

先日、研修会場に向かうバスに乗っていました。
私の一つ前の席に、一組の母子が乗ってきました。
30代くらいのお母さんと、4歳くらいの女の子でした。
女の子の笑顔を見た瞬間にわかりました。
「この子の意識は、6次元だ」と。
本当にキラキラと輝く笑顔でした。
そしてお母さんは、試行の次元、つまり5次元の意識の方でした。
つまりこのお母さんは、我が子と一緒にいることで、本当の愛を学び続けています。
そういった親子が、今はとても増えているようです。

つづく

2011年04月06日

意識の次元と自由17 〜信じる、信じない

私達は、何かを信じて生きています。
「私は〜〜を信じることができない」というのも、「〜〜とは、信じるに値しないということを信じている」ということです。
そして私達は、自分が今、何を信じているか? ・・・その最も強い「信」の方向に進みながら人生を創造しています。

ところが、100%完全に信じ切るということも、あまりありません。
Aについては80%は信じられる。
Bについては30%信じられる。
Cについては50%くらい。
ということであれば、私達はAの方向に人生を進めます。
一番信じているAですが、それでもやはり20%くらいは信じていません。
「不信」です。
(しかしその不信も、さきほど書きました通り、その20%の心は「信じるに値しないということ」を信じています。)

しかも私達は、本当は信じたいのだけれども、信じることができない(これも「信じるに値しないということを信じる」ということです)ということもよく経験します。

「信じる」というのは、かなり難しい行為のようです。

完全に信じている状態を「確信」と言います。
「100%そうに違いない」とすべての心が思っている状態です。
もしこういった心の状態ができると、私達はもの凄いパワーでその物事に向かいます。
どんな困難や障害が現れても決してくじけることなく、それを乗り越えて行きます。

注意しなければならないのは、「私は確信している」と自分では思っているのに、実は心の中には不信の気持ちが発生している、というケースです。
つまり、「思い込みの確信」です。
実は結構多いです。
特に多いのは、「これこれの理由で、確信するに至りました」というケースです。
実は「確信」には理由は要りません。
むしろ、「根拠のない」ときほど、本当の確信であるケースが多いです。
(もちろん、そうではないケースもあります。)

根拠のない確信とはどこから来るのでしょうか?

このブログをずっとお読みいただいている方はもう、おわかりだと思います。
それは真本音から来るものであり、さらにその奥の源(ソース)から来るものです。
源(ソース)とは、私達の「もと」ですから、今この現実の中で自分がどのような役割を担えばよいのか、どの方向に進めばよいのかを確信として教えてくれます。
そして「今目の前にある現実」をありのままに観ながら具体的な行動や選択を決めるのが真本音です。
源(ソース)と真本音から生まれた発想や希望には、迷いがありません。
つまりは「不信」が存在しません。
多くの場合それは「直観」として認識されますので、「自分のひらめきによって動いたら、凄い展開が起きた!」と言われるのは、必然的なことなのです。

4次元・5次元の心というのは、源(ソース)とのつながりの薄い心です。
私達の個として我欲に基づいている心です。
つまりは、「自分一人さえよければよい」というものが根っこにあります。
残念ながら、そういった心に基づいているうちは、まず「確信」は生まれません。
必ず心の中に「不信」が発生します。
時には、その「不信」を無理矢理抑え込んで観ないようにして、確信のふりをしている人もいます。
それを「妄信」と言います。
しかしそういった人は、非常に心が疲弊しています。

妄信を防ぐ意味でも、物事をすぐに信じ込まずに、いろんな角度から検証することは大切です。
自分の「信」が本物だろうか?という疑問符を持つことも大切です。
しかしその一方で、自分が今、何に「確信」しているか?を観ることも大切です。
妄信から確信まで、まずは自分の心の中にあるすべての「信」をありのままに観る。
それが、自由に生きることにつながるのだと、確信します。

つづく

2011年04月03日

意識の次元と自由16 〜自己愛と自分への愛

現実との関わりの中で生まれる私達の心、反応本音。
それらがあるが故に、私達は人間としての幸せを感じることができます。
「私」という個としての幸せ。
それを私達は誰もが望んでいます。

ところが、その当たり前の気持ちを犠牲にしてしまっている人が、時々います。
基本的には、自己犠牲からは本当の愛は生まれません。
自分をまず犠牲にして、もしくは、まずは自分が我慢して「人のために」と生きている人の多くは、残念ながら心に無理をしている分、余計に4次元レベルの心に支配されやすい状態になります。

「自己愛」という言葉があります。
自己愛とは、自己満足の愛、と捉えていただくとよいでしょう。
自己満足と言っても、多くの場合、当の本人はそれを認識していません。
本人は、本当の愛を注ごうとしています。
しかしよく観察してみるとそれは、自己満足をするための「愛のカタチ」を真似ているものであったりします。
今の自分を動かしている「もと」が、4次元の心であることに本人が気づいていないのです。

自己愛をし続けている人は、心の奥底に罪悪感がたまります。
自己満足であることを、潜在意識レベルでは本人が一番よくわかっているからです。
しかし、罪悪感がたまっているという事実そのものも、顕在意識レベルでは気づいていません。

「罪悪感」とは、自らを傷つける意識です。
自分で自分の心にナイフを突き立てるような自虐行為が、罪悪感です。
パワーレベルでいうと、30という非常に低い値が出ます。
私達人間の心のパワーを最も奪うものの一つです。

自己愛を続けている人の心は、以上のような理由で、非常に疲弊します。
その疲弊感が、周りの人達の心を疲弊させてしまいます。

「自己愛」と「自分への愛」は根本的に異なります。
自分に愛を向けることは非常に大切なことですし、自分に愛を向けることのできる人こそが、人にも愛を向けることができます。
「自己愛」と「自分への愛」の区別のつかないのが、4次元の心です。
自分への本当の愛とは、6次元以上の心ですから、6次元以上の自分が現れたときに初めて、その区別がつくようになります。

冒頭でも申し上げましたが、私達は、誰もが「個としての幸せ」を望んでいます。
しかしそれは「全体の幸せ」なくしては実現しないことも、よく知っています。
「個」と「全体」とは分離することができないものです。
なぜなら、もともと私達という存在は源(ソース=全体)から生まれ出たものだからです。
自分が本当に幸せになることと、周りが本当に幸せになることはイコールだという当たり前のことを、ついつい忘れてしまうのが、これまでの社会の一つの側面でもありました。

自己犠牲とは、自己満足です。
独りよがりの幸せを求めても、本当の幸せにはなりません。
では、どうすればよいでしょうか?
今、自分には何ができるでしょうか?
何をすることが、本当の幸せにつながるのでしょうか?
それらの答えは、やはり、高次元の自分が明確に知っています。
すでにある答えを、自分の心の中から見つけ出すことが、幸せの人生へのスタートでしょう。

今回の震災の被災地での、子ども達の行動がクローズアップされています。
他者を思いやる心を子ども達が行動に移し、それにより大人達が勇気をもらっています。
子ども達は、当たり前のことを思い出しています。
それを見て、私達大人も、当たり前のことを思い出そうとしています。
高次元の自分とは、当たり前のことを知っており、当たり前のことを淀みなく行動に移せる心です。
それは、誰もが持っている心であり、それが、私達の本来の心です。

今のこの流れを、心を自然にする方向に持っていくのか、それとも、また無理をしながら生きる方向に持っていってしまうのか。
今、私達はその岐路に立っています。

無理に、「よい自分になろう」とするのではありません。
「本来の自分を思い出す」だけ。
たったそれだけのことを、今の私達はすればよいのです。

つづく

意識の次元と自由15 〜反応本音の信念

反応本音とは、外部からの影響を受け、その結果として生まれる心です。
私達の心のほとんどは、3次元世界における「現実」との関わり合いの中で生まれますから、反応本音と言ってよいでしょう。
例えば、自分がとても大切にしている信念や価値観があったとします。
通常、信念・価値観とは自分自身が生み出したものであり、自分が決めたものである、と認識していますが、実は外部からの影響の中で外部から与えられたものが多いです。
信念・価値観の大半は反応本音だということです。

反応本音だからいけない、という話ではありません。
反応本音を反応本音であると認識することが大切です。
なぜなら反応本音は、知らぬ間に心に淀みを生み続けている可能性があるからです。

例えば、「いつも笑顔でいよう」という信念を持っていたとします。
それが反応本音である場合、心のどこかでは、ほんのわずかでも「笑顔でいなきゃいけないから」という、ちょっと無理をしている部分があるかもしれません。
時には、「笑顔でいるのも疲れるなぁ」と思っている心があるかもしれません。
一つの信念を大切にしようと思うと、その反作用のように逆向きの心が生じてしまうことがある。
・・・それが反応本音の特徴です。
その逆向きの心の存在を認識していれば(存在承認できれば)、もうそれでOKです。
しかし気づかなかったり、わざと観ないようにしていると、それはフタをしていることと同じことになり、だんだんとストレスを発生させます。

反応本音とは多くの場合、4次元・5次元の心です。
反応本音の信念・価値観も、4次元・5次元です。
反応本音の信念により行動することで、4次元・5次元の心は活性化しますが、6次元以上の心は隠れてしまいます。
6次元以上の自分が隠れるということは、「本当に自分が望んでいること」も隠れてしまうということです。
すると、「ただその時に反応的に生きるだけの人生」となりやすいです。

高次元の心は、現れれば、圧倒的な強さを見せます。
しかし現れなければ、残念ながら何もしてくれません。
普段、自分が何次元の信念・価値観に基づいて生きているかで、人生は大きく変わります。

信念・価値観という視点から、高次元の自分探しをしてみましょう。
高次元の自分は、どんな信念・価値観を持っているでしょうか?
どんな生き方を大切にしているでしょうか?

自分が日々、何気なく大切にしている信念や価値観を、一度じっくりと観察してみましょう。
そこに、淀みはありませんか?
あるとすれば、どんな淀みですか?
その奥に眠っている「本当の心」とは何でしょうか?

つづく

2011年04月01日

意識の次元と自由14 〜孤独の時代

人は心の奥底に、誰もが孤独を抱えています。
もしくは、「孤独になることが怖い」という根本的な恐怖感を抱いています。
4次元の気持ちの多くは、この「孤独の解消」や「孤独からの回避」に基づいて生まれます。

もともと源(ソース)から生まれ出ている私達は、別の体と別の心を持った瞬間から「孤独」を感じるという宿命があります。
その宿命があるからこそ、人間だと言ってもよいでしょう。
その宿命と共に生きるところに、人生の重要な意味(の一つ)があります。

誰だって孤独はいやです。
孤独は恐ろしいです。
しかし、死ぬときは、一人で死んでいかねばなりません。
(たとえ、何らかの事情で複数人で同時に死ぬとしても、死そのものは一人で迎えることになります。)
その、一人で死ぬ瞬間に孤独に陥るのか、それとも満たされているのか。
それは、その人がそこまでにどのような人生を歩んだかによって決まります。

孤独から抜け出る唯一の方法は、源(ソース)を思い出すことです。
変な表現ですが、顕在意識レベルでは思い出せなくとも、潜在意識レベルでそれを思い出す(実感する)だけでも結構です。
その存在を「実在」として認識することで、私達は本当の意味で、孤独から抜け出ることができます。
どれだけ気の合った大勢の人達に囲まれて生きていたとしても、源(ソース)を実感しない状態では、必ずどこかに孤独への恐怖はあり続けます。

そして、源(ソース)を実感するためには、高次元の自分で生きることが必須です。
高次元の自分が現れれば現れるほど、その実感値は高くなります。

「高次元の自分」という表現をしますと、なんだかとても崇高な気がしますし、取っつきづらさや、「自分をすばらしい自分でいさせなきゃ」というように自分に無理をするイメージがあるかもしれません。
しかし、そうではありません。
「高次元の自分」とは、「もとの自分」です。
「本来の自分」であり、「自然体の自分」です。
「高次元の自分」が現れれば現れるほど、私達の心は楽に、自由になっていきます。

そしてさらに、「高次元の自分」が現れても、「低次元の自分」が失われることもありません。
むしろ、好きなときに好きな「低次元の自分」を自由に活用することができるようになる分、より人間らしく、自分らしく生きることができるようになります。
それは、本来の自分らしさです。

「孤独」という根本的な恐れを常に抱きながら生きる私達。
しかしもうそろそろ、その「孤独の時代」からは抜け出るときが来たようです。
本当は、人は、全く、孤独、ではない。
という事実に気づくときが来たようです。
「孤独の時代」を抜け出ることができたとき、私達人類は、新しい時代に入ることができます。
それは、本当の意味で「共に向き合い、共に創る時代」です。
「真本音の時代」です。

つづく

2011年03月31日

意識の次元と自由13 〜日本人の使命

皮肉なことに、震災があったが故に、世界で日本が注目されるようになりました。
これから私達が何をするのか。何を創り出すのか。
それにより、今後の世界の動きは大きく変わるはずです。
過去と同じものを創っていてはなりません。
新たなものを創造するのです。
新たなものを創造するために必要なものは、一言で言いますと、「和」です。
「和」とは、もともと聖徳太子さんが使われた言葉です。
「和」とは、「仲良しこよし」のことではありません。
「和」とは、「お互いの価値観の壁を超えていく」という前提が入ります。
お互いの価値観を超えてこそ、本当の心と心のつながりと、本当の創造が始まります。

これから自分が何を為せばよいのか?
これからの自分の本来の役割は何か?
これから自分は、何のために生きていけばよいのか?
それらの答えは、すべて自分自身の中にあります。
真本音がすべてを知っています。
高次元の自分がすでに答えを持っています。
そして高次元の自分の答えに素直に動くということは、それは源(ソース)に基づいた動きであり役割でありますから、全体の調和がどんどん取れていきます。
つまり、一人ひとりが本当の自分の心に素直に動けば動くほど、全体に調和が生まれ、個人の思惑を超えた大きな道が、必然的に、そして自然に無理なく拓かれます。
それが、これからの社会の創り方の原則であり、それを世界に先駆けて行なうことが、私達日本人の使命であると、私は考えます。

私達人間は、自分にできることしかできません。
できないことは、できないのです。
ですから、できる最大・最善のことをしましょう。
「今、何が最大・最善か?」は、私達自身の真本音が、すでにすべてを知っています。
その、自分自身の本当の声に耳を傾けるだけです。

そのためにも、今こそ自分の心を自由にしましょう。
自分の中の本当の声(外からの影響で反応的にできあがっている声ではなく、本当に自分の中心から湧き上がる声、魂の声)に、まずは自分が耳を傾けましょう。

そしてその上で、お互いにコミュニケーションを取りましょう。
真本音のコミュニケーション。
それこそが、本来の「和」を生みます。
真本音コミュニケーションを取ることにより、たった一人の発想が、何十倍・何百倍にも増幅されます。
真本音の相乗効果は絶大な力を持ちます。
それをするだけの資質を、日本人はすでに持っています。
日本人だからこそ創り出すことのできる「和の社会」に踏み出す第一歩として、「今ここ」を位置づけましょう。

つづく

2011年03月30日

意識の次元と自由12 〜心を自由にする

楽しいことは楽しい。
つらいことはつらい。
腹立たしいことは腹立たしい。
悲しいことは悲しい。
怖いことは怖い。
嬉しいことは嬉しい。
やりたくないことはやりたくない。
やりたいことはやりたい。
・・・人として当たり前の心の動き。
これらを、私達は普段どれだけ自由にしているでしょうか。

この3次元世界では、「自由に行動する」ことは、なかなか難しいです。
やりたくてもやれないことは無数にあります。
逆に、やりたくなくてもやらなければならないことも無数にあります。
私達は、自分の行動を自ら制御したり、コントロールしながら生きています。
制御やコントロールがなくなれば、社会は成り立たなくなるかもしれません。

そして私達は、自らの行動を制御するために、自らの心を制御しようとします。
そして自らの心を縛り、不自由にします。
実は、ここがすべての歪みのスタートとなります。

心を制御するために、私達は自分の心の中の選別をします。
「この心は良い。」
「でもこの心は良くない。」
そして「良い心」のみに焦点を当て、「良くない心」は「無きもの」にしようとします。
除外しようとしたり、抹消しようとします。
しかし残念なことに、除外や抹消はされません。
私達の心の中にその「良くない心」は存在し続けます。
その結果、私達が最後にとる方法は、その心に「フタをする」という行為です。

「フタをされた」心は、不満が鬱積し、さらに自己主張を強めます。
つまり、「良くない」と思っていた心が増長するのです。
増長するからさらにフタを強固にします。
すると、さらに増長します。
そしてさらにフタをして・・・、という悪循環に入ります。
そして、自分自身が望んでいない「良くない」と思っている心が、心のあちこちに増え続けることになります。
増え続けたものにフタをして、それらが暴れ出さないように必死に制御しようとすることに、私達は莫大なエネルギーを費やします。
それにより、私達の心は疲弊していくのです。
疲弊すれば疲弊するほど私達は、現実と向き合う力を失います。

「良くない心」は大きくなると、私達の知らないところで、その影響を及ぼし始めます。
それは私達が自分では気づかないちょっとした表情や、ふるまいや、しぐさ、・・・それだけではなく、私達が無意識に醸し出すムード(雰囲気)として発されます。
そして周りの人達は、それを「感じます」。
私達がせっかく必死に制御しようとしている「良くない心」ですが、残念ながらそれに基づいた影響が、周りの人達にダイレクトに伝わってしまうわけです。
そして周りの人達の私達への反応は、その影響に基づいたものとなります。
そして私達自身には、私達の「良くない心」の影響に反応した人達の反応が返ってきます。
それが私達に降りかかる「3次元の現実」となります。

以上のパターン、実は非常に多いです。
自分の望む現実を創り上げることに苦慮している方々の多くが、以上のパターンに基づく「現実の創り方」をしています。

自分の行動を、本当に望む方向に制御したりコントロールするための最善の方法は、実は
「心を自由にする」
・・・ことなのです。
つまりは、「どんな心が存在していてもいい」と、自らの心の動きのすべてを「許す」のです。
「自分の心の中には、どんな次元の心が存在していてもよい」と、すべての心を存在承認するのです。

心の中のすべてのフタが取れると、心は自由となります。
心が自由となれば、高次元の自分が自然に姿を現します。
高次元の自分こそが、心の中のリーダーとなります。
そこで初めて、揺るがないリーダーに基づいた心の制御が始まります。
いや、それは「制御」ではありません。
揺るがないリーダーが表出すればするほど、心はさらに自由となり、
「自由だからこそ、本当に望む気持ちがわかり、本当に望む気持ちがわかるからこそ、制御せずとも自然にそこに向かって行く」
・・・という状態が実現します。
そしてそのリーダー(高次元の自分)とは、源(ソース)に基づいてすべての判断をします。
当然ですがそれは「独りよがり」の判断ではなく、自分にとっても周りにとっても「最善の選択」となる判断です。

心は「制御しよう」と思えば思うほど、制御できなくなり、
「自由であろう」と思えば思うほど、制御せずともきちんとした選択のできる状態となるのです。

つづく

2011年03月28日

意識の次元と自由11 〜思惑を超えて

私達人間は誰しもが、「思惑」を持ち生きています。
「こうなるといいな」「こうなってほしいな」「こうなるために、こうしよう」
・・・それらは、人として当たり前の心です。
その「思惑」の出所は様々ですが、「思惑」の出所として最も代表的なものが、前回のテーマで取り挙げました「我欲」です。
そして我欲の中でも、まずは根底に来るものが、「自分を守ろう」とする欲求です。
これを「保存モード」と言います。
保存モードとは、「自分を保存(守る)しようとする意識の階層」です。

それは動物的本能のようなものから、「怒られないために言い訳を考える」などの理論的理屈的なものまで様々ありますが、要するに私達は人間である以上、誰もが「自分の身を守りたい」のです。
そして「思惑」の多くは、その根底を覗き見ますと、この保存モードによるものが多いです。

私達が高次元の自分を現わすようになったとしても、保存モードはなくなることはありません。
もちろん、我欲がなくなることもありません。
前回書かせていただいた通り、それらを高次元の自分自身が活かすようになります。
つまり、低次元の思惑を、高次元の自分が活用します。
そういったものを「高次元の思惑」と表現してもよいでしょうが、高次元の思惑とはつまりは、源(ソース)そのものの思惑と言ってもよいですから、それはもう思惑という次元を超えています。
ですから、高次元の自分が現れるようになればなるほど、「思惑通りにいかなくなる」のです。
しかし、思惑通りいかなくなることによって、「本当に望む現実が開かれる」ことになります。

すべては、高次元の自分が知っています。
なぜそうなるのか、次に何が起こるのか、すべて高次元の自分は知っています。
しかし残念ながら、それらの多くは顕在化されていません。
顕在化されなくても、今この瞬間の直観は働きます。
その直観のままに動いてみると、後でそれらのすべての理由がわかり、「そういうことだったのか」と、深く合点がいきます。
それが楽しくてしょうがなくなります。

個人の思惑通りに進む人生も、ある程度は楽しいかもしれません。
でもその場合、思惑通りにいかないと失望が生まれます。
疲れます。
個人の思惑を超え、すべてを高次元の自分自身に委ねてしまうと、人生のあらゆる現象が、まるで違った意味を持っていることに気づくでしょう。
そしてその中で初めて、「本当は自分は何を望んでいるのか?」に気づくのです。
人生の醍醐味ですね。

今、本当に自分が望んでいることに向かうための一歩を踏み出せるかどうか?
それは「今、自分は自由かどうか?」とイコールです。
低次元の思惑に囚われ過ぎる人生とは、実は、不自由だということです。
思惑を超えた人生こそが、自由な人生なのかもしれません。

つづく

2011年03月25日

意識の次元と自由10 〜4次元と我欲

意識の次元は4次元から9次元までありますが、そのうち最も低い次元が4次元です。
4次元を「我欲の次元」とも言います。

「我欲」。
この一言を聞きますと、まずはあまり良い印象を受けない人が多いのではないでしょうか。
しかし人には皆、我欲があります。
我欲があるからこそ人である、とも言えます。
そして、我欲というものをあえて持つように創られたところに、人の存在の意味があるように思います。

「我欲はいけない」と、無理に思い過ぎることによって、その人の我欲はより大きなものとなります。
なぜなら、もともと存在するようにできている我欲を否定するということは人間否定、ひいては自分否定そのものとなるからです。
そして否定された我欲達は、不満を鬱積させ、反動としてより強いものとなってしまいます。
無理に我欲を抑えてしまうと、自分の気づかないところで(例えば、ちょっとした表情とか、しぐさ、ふるまい、雰囲気など)、我欲がにじみ出るようになります。

むしろ、我欲を持っている自分自身をありのままに受け止めること。
どのような我欲があるのかを、ありのままに観ること。
その存在を認めること。
それらが大切です。
これを「存在承認」と言います。
その我欲の内容が「正しいかどうか」「良いかどうか」ということではなく、その我欲が「存在していること」をただ承認します。
すると逆に、我欲によって振り回されることが少なくなったり、我欲をコントロールできるようになります。

そしてさらに意識の次元が高まることによって、高次元の意識が低次元の意識(我欲)をコントロールし、活用するようにもなります。
我欲そのものは4次元でも、その4次元の意識を9次元の意識がコントロールするようになる、ということです。
ということは、その我欲は9次元の我欲となった、ということになります。
(それはもう、「我欲」とは言えないかもしれませんが。)
例えば、「お金がほしい!」「もっと金持ちになりたい!」という我欲を大切にし、一つの仕事に向かうことで仕事の実績を上げ、それが結果として自分自身の魂レベルの成長と、周りの人達への良い影響につなげる、・・・そして結局は「お金を得る」という喜びだけでなく、もっと大きな喜びを学ぶ、・・・というようなことも起こります。
これは、高次元の自分が低次元の自分を活用している、わかりやすい例です。

ですから、我欲とは抹消するものではなく、活かすものです。
活かすためには、自分自身の意識の次元を高めること、・・・つまりは、真本音で生きることが重要です。

「自由」という視点から言いますと、一見すると「自分の我欲を満たすこと」が自由であるかのように映ります。
しかし、「自分の我欲を満たす」とは、「満たされないものを満たす」ことに他なりませんので、これは非常に不自由な状態です。
喉が渇いてカラカラのとき、私達は喉を潤すことばかりに躍起になります。
これは、それのみにしか意識が向かわない状態ですので、とても不自由な状態です。
ですから、我欲を満たすための人生というのは、「それをせずにはいられない」という意味で、実はとても不自由な人生なのです。

我欲に囚われず、我欲を否定もせず、我欲を活かしながら、自分の本当に望む方向に人生を進める。
これが本来の自由ではないでしょうか。

つづく

2011年03月24日

意識の次元と自由9 〜快晴の心

まるで何かの予兆を感じたかのように、自分の体が勝手に動くことがあります。
頭で理論的に何かを考えているわけでもなく、明確な根拠があるわけでもなく、自然に体が動いてしまうことがあります。
何かに突き動かされるような感覚。
根拠はないのに、確信はある。
もちろん、迷いはゼロ。
今、自分が取っている行動を完全に信じている状態。
いや、信じるとか信じない、という次元を超えた状態。
これ、誰もが一度は体験したことがあるのではないでしょうか。

今、何をすればよいか?
今、どうすればよいか?
今、何が最善か?
頭で明確に顕在化されているいないに関わらず、それらの答えを確信をもって得ている状態こそ、高次元の自分が現れている状態です。
そして一般的には、これを「直観の働いている状態」と言います。
直観とは、高次元の自分の発想のことを指しています。
そこには、理屈を超えた確信が伴います。
その確信とは、源(ソース)からもたらされるものです。

反対に、低次元の自分が現れているときは、心はいつもモヤモヤとしています。
何をするにしても、いつもどこかで迷い、自信はなく、歩みの一歩一歩は脆弱なものとなります。
同じ道を進むにしても、直観に基づいて進むのか、それともモヤモヤの状態で進むのかでは、その後の展開は根本的に変わります。

天気に喩えれば、高次元の自分でいるときは、澄み渡った快晴状態です。
低次元の自分のときは、暗い曇り空、もしくは雨が降っている状態です。
どちらが幸せか?と言えば、それはもう言うまでもないことです。
どちらが自由か?と言えば、それももう言うまでもないことです。
そして、どちらが周りの人に幸せをもたらすことができるか?
それも言うまでもないこと。
自分と周りの大切な人達の幸せを考えるならば、まずは自分自身の心の次元をいかに高めていくか。
これが非常に重要です。

結論を言います。
意識の次元を高めるための、最大・最善の方法は、「真本音を大切に生きる」ことです。
今の一歩一歩を、真本音で進むことです。

では、次回からは、それぞれの次元について、詳しく見ていくことにしましょう。

つづく

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